Monologue 2004

 信号機のない横断歩道はどのように通過していますか?
Mar.14.2004

◇ はじめに・・・ケース その1

過日地元の県道を自動車で運転走行中、信号機のない横断歩道にランドセルを背負った少年が立っているのを発見。日頃からこのようなケースでは必ず停車させることにしているので、前後のトラフィック状況(混雑状況)を判断しながらためらわず早めにブレーキングをしながら後続車に知らせつつ停車した。
この少年はちょっと停車したことにとまどいの顔を見せながら、おそるおそる渡り始めた。その時、反対車線からブレーキもかけない様子でこの横断歩道を通過してくる乗用車がいるではないか。ボクはヘッドライトをビームにするなどで、警告を与えようとしたが、効果はなくそのまま進行してくる。この少年はびっくりしてあわてて戻っていく。
その後次の反対車線を進行してくる車両はボクが停車していることで、抑制されたのか、停車してくれた。少年はやっと胸をなで下ろし渡ってくれた。

ところで、白状しますと、ボクは自動車の運転は嫌いではないし、ハンドルを握ることは快感のひとつだとも感じている。従って高速道などではオーバー気味の運転をすることは少なくない。
性格がせっかちということもあろうけれど、1tを越える近代的技術の粋の固まりのような自動車を任意に制御して100Km/hを越えるスピードで移動するということの快楽は近代工業生産物の所産でもあり、この魅力に抗しがたいものがあるのは事実だ

でもこれだけは誓って自己を戒めている。それは歩行者優先ということだ。
当たり前のこと、ではあります。
しかしこれが決して当たり前になっていないのが、道路政策であり交通マナーの荒廃だ。

◇ 横断歩道でも停車しない自動車

さて冒頭のケースはどのように評価すべきであろうか。         
かつてバスストップでの待合いベンチに座り、暇に任せて直近の信号機無し横断歩道を横断しようとする歩行者と、通過する車両の動きをつぶさに監視したことがあった。田舎道での30分ほどのデータであるが、高速道を抜けて来て、さらに幹線沿いを南下する起点になるターミナル的バスストップだったので、この横断歩道を利用する歩行者はかなり多かった。通過した車両は100台ほどであったろうか。

果たしてその結果、バスから降車した数人が横断歩道に渡る意志を持って立ち止まっていても、停止した車両は皆無だった。ある程度の予測は立てていたが、これには正直驚かされた(訪問者の皆さまも、ハンドルを握れば必ず遭遇するケースと思いますが、如何ですか)。
また歩行者もそれが当たり前かのように、ただあきらめ顔で、通過車両がなくなるまで待っている。
ボクが歩行者であれば、運転者に横断歩道であることを手で大仰に指し示し、警告を与え、さらには大胆に強行横断を試みたりして、運転者の自覚を促すことが必要と考えるのだが・・・。
この薄ら寒くなるような経緯があったことで、業を煮やしせめて訪問者の皆さまには考えていただきたい問題としてこのページに取り上げた次第だ。

◇ ケースその2 停車することでのリスク

先の例以外にも道路を走行していると日常普段に、このような法規を守らない、我が物顔の運転者にあきれることが多いのだが、ボクのように停止することでの逆効果ということも実は生じうるから、なかなか問題は深刻だ。

さて先例のように、信号機のない横断歩道を渡ろうとする歩行者がいたので、ボクは当然のように停止させた。安心したように歩行者は渡り始めたのだが、この時は後続車がこちらの停止している車両を追い越しをして横断歩道を通過していってしまったのだ(道交法第38条.2.違反/「横断歩道等で停止している車両等がある場合において、当該停止している車両等の側方を通過してその前方に出ようとするときは、その前方に出る前に一時停止しなければならない」)。
驚いたのはボクだけではない。件の歩行者はびっくりしてこの追い越し車の無謀な振る舞いに腰を抜かしたように佇んでしまった。
最悪の事態にはならなかったものの、ボクはハザードランプを点灯させて、運転席を降り、この歩行者を抱きかかえ反対側の歩道へと連れて行ったのだが、こちらの当たり前の振る舞いが時として歩行者を危険な状況に陥れかねないというリスクをも考えなければならないという信じがたい現状は冷静に見ておかねばならない。

◇ ケース その3 追突

また別の例で、かなり昔のことだが、観光地へドライブしていた時であったが、国道2車線、田舎道走行中のこと。ゆるやかな右カーブの先に信号機のない横断歩道に観光者とおぼしき老夫婦が渡ろうとして立っている。ボクは視線にとらえるやいなや、ポンピング、ブレーキングして停車。数秒あっただろうか、この歩行者がこちらへ顔を向け笑顔でこっくりし、渡りつつあったまさにその時に後続車がボクの車両に追突してきたのだ。
この時には歩行者には何も被害はなくそのまま立ち去ったが、追突されたこちらは、さて困った。
地元の警察を呼び、経緯を説明し、当然のことだが、100%、後続車に非があるとの判断。この後続車の運転者はガソリンスタンドの店員で、会社に知らされると困るとのことで、示談にすることにして修理代を全て持つことで、落着。

このように歩行者優先、法を順守しようとする振る舞いが他者の無法行為でリスクを受けるということは残念なことだが、いかにこの横断歩道の通過における法規遵守が疎んじられ、運転者マナーが荒廃しているかを示している。

◇ 道交法 一部抜粋
ここで道交法における該当条文をあらためて簡単におさらいしよう。

第6節の2 横断歩行者等の保護のための通行方法

(横断歩道等における歩行者等の優先)
第38条 車両等は、横断歩道・・・に接近する場合には、当該横断歩道等を通過する際に当該横断歩道等によりその進路の前方を横断しようとする歩行者又は自転車がないことが明らかな場合を除き、当該横断歩道等の直前で停止することができるような速度で進行しなければならない。この場合において、横断歩道等によりその進路の前方を横断し、又は横断しようとする歩行者等があるときは、当該横断歩道等の直前で一時停止し、かつ、その通行を妨げないようにしなければならない。

2 事両等は、横断歩道等又はその手前の直前で停止している車両等がある場合において、当該停止している車両等の側方を通過してその前方に出ようとするときは、その前方に出る前に一時停止しなければならない。

(横断歩道のない交差点における歩行者の優先)
第38条の2 車両等は、交差点又はその直近で横断歩道の設けられていない場所において歩行者が道路を横断しているときは、その歩行者の通行を妨げてはならない。

さて道路交通における無法状態ともいうべき現状に対してどうすればよいのか。ボクなどは半分諦観を決め込むしかないかと考えてしまう。道路行政の跛行、運転マナーの荒廃、他者への思いやりのない社会的風潮。どこか壊れてしまっているこの社会にどう希望を抱けばよいというのか。

しかし皮相な顔つきだけではこちらが参ってしまうので、しぶとく、しぶとく、渡ろうとする歩行者があれば極力危険を排し、停車させるしかないのだ。後続車、反対車線の運転者はこちらの車両が何故停車しているのか、考えるだろうし、少しは学習してくれるだろう。

ここに問題にした信号機のない横断歩道をめぐる悪弊は、交通道徳をめぐるさまざまな問題の象徴的なことであるように考えられる。

◇ 道路行政の問題

少し整理して考えてみる。

まず道路行政の問題から。そもそも自動車産業が勃興してから、大衆の購買力の対象になっていったのは米国のいわゆるフォードシステムというベルトコンベアに象徴される近代的大量生産システムの構築が形成されてからであろう。時代はいわゆる大戦間(第一次世界大戦、第二次世界大戦の間)のことであるが、日本においてはやはり戦後に入り、朝鮮戦争の特需などを経て、日本の重工業産業の台頭とともに生産が本格化し、あまねく大衆にこれが行き渡っていったのは60年代も後半に入ってからであろうか。
ボクが社会人になる頃だが、会社の先輩たちが競って、サニーだ、カローラだ、ベレル(いすづ)だと買い急いでいく時代が到来していた。
しかしどうだろう。これを走らせる道路はというと、主要道路がこの自動車が走行しやすいように舗装されていったり、名神高速道路から始まった高速道路の建設は、田中角栄の「全総(全国総合開発計画)」政策を推進軸とした土建開発国家としてのいけいけどんどん、の象徴であり、自動車での高速運転のもたらす移動の早さ、運転者の快楽は、先進資本主義の享楽の象徴であったかもしれない。
しかし一方田舎道など全く省みられず、狭くて曲がりくねった道路であったが、自動車の大衆化はこの道路をも埋め尽くすようになっていた。当然はじけだされたのは、この道路を生活道路として、のんびりと行き交い、路端の草花を愛でながらの散歩をしていた地域住民だった。
確かにこうした田舎道にも土建行政は行き届き、舗装されては行ったが、残念ながらここでも車両優先の道路行政の限界で、いつまでたっても歩行者、自転車などが快適に通行できる環境整備などは眼中にないかのようなものでしかなかった。

当地でもこのような歩行者無視の道路行政は未だ改善されてはいない。一方当県の知事が先頭に立って推進している交通行政といえば、100数十年にわたり、営々と築き上げてきた日本を代表する茶畑の丘陵地を切り崩し、埋め立て、空港を建設することなのだ。敷地内には数軒の空港反対地権者が先祖代々の土地を売らずにがんばっているものの、いまや遠くからも青々とした茶畑が丸裸にされ、見るも無惨に変容していることに愕然とする。
末端の道路行政は旧態依然のまま残存させ、最先端だけに血税を放り込む(例え開港しても赤字は免れないと専門家の誰もが指摘している)、この愚かさ。政治が志向しているところは地域住民の快適で安全な生活を守ることではなく、一部ゼネコン、土建業者への利益誘導であり、開港後の大資本の物流の利便化であろう。

また交通法規の監視者であるはずの警察もなぜかこの横断歩道の通行をめぐる指導をされていることは寡聞にして聞いたこともなければ、数年に一度の免許書き換えにおいても指摘されたことがない。

◇ 運転者の意識

さて次に運転者の意識についても俎上に上げなければならない。
運転者心理学という学術分野が果たしてあるのかどうかは知らないが、ハンドルを握って1t前後の重量物体を高速で任意に扱うことが出来るという魔術に人は完全にラリッてしまうという心理状態は、十分に臨床的検証の対象にできるかもしれない。
かつてボクが自動車免許を取得した頃は、最初の高速道(名神高速道)が整備されつつあった頃だ。(東名高速道の開通は数年後だった。開通したばかりの高速道をガールフレンドとともにレンタカーでドライブしたあの爽快感は今も脳裏に鮮やかだ。オット、そんなことはここではどうでもいいか)
この頃はまだまだ自家用車は少なく、一般道では歩行者も悠然と歩ける環境下にあった。運転者は歩行者に何か迷惑を掛けているのではないか、といった引け目みたいなものもあり、今日のように歩行者が道路脇に押しやられ、全てにおいて車両が優先されるという逆転現象は70年代も半ばになってからであろうか。

通常の社会生活においては、猫のようにおとなしい素行の人も、一端ハンドルを手にすると先の魔術に溺れるのか、そこのけ、そこのけのオオカミに変身してしまう人も少なくないようだ。何ものにも抗いがたい自動車という時として凶器にもなりうる「近代兵器」を操ることへの快感と間違った自信。
現代社会に生きることでの様々な要因から受けざるを得ない、日常的な心理的抑圧からのはけ口として、自動車運転が位置づけられているという側面があるのかもしれない。
これはしかし全く誤った解消の仕方だ。心理的抑圧を受けている人が、歩行者という交通弱者をターゲットとして攻撃してどうして改善されるというのだ。
もっと他者への想像力を働かせて陥りやすい陥穽から自由であらねばならないだろう。
逆に、歩行者優先を意識的に運転マナーに生かすならば、歩行者とのコミュニケーションが成立し、はやりの言葉で言えば共生していることの暖かさ、希望、勇気もわき、心理的抑圧の改善にはより多くの効果を見いだすことができるだろう。

◇ 他者への想像力を !

さて、今回とりあげた交通問題は、卑近な例題からいかに歩行者優先という当たり前の前提が崩壊しているか、もちろん法制度の根幹にも明記されている事柄でもあるが、何も道交法に登場していただく以前に、当たり前の人の道を復権させていかねばならないのではないか、ということであったが、本年新年の本稿で取り上げた、人倫の荒廃、壊れた社会の日常的側面の象徴的事柄のひとつであるように思われる。
ボクたちが生きているこの日本という社会は、何もかもが壊れつつあるかのようで、果たしてこれから生まれくる未来の少年、少女たちに何を伝えてあげられるのであろうかと考えるとき、ただ暗澹としてうずくまるしかないということに気づかされることがある。

これは経済消費社会の低迷、社会システムの混乱、政治社会の腐敗、あらゆるところに歪みと混迷が相乗的に現れてきていることに起因するものであろうが、問題はこうした下部構造の荒廃が、人々の精神のありどころの変容と荒廃へと転化しつつあることへの恐怖だ。

本件の交通問題もどちらかといえば若年層が起こす傾向があることも確かであろう。
でも考えてみれば、彼らは生を受けた頃は既に自動車社会が成熟してしまった時代であり、親たちの振る舞いを当たり前の社会的通念として捉え、生育してきちゃっているから、今更、人に優しく、などといった言葉はなかなか届きにくいだろう。
おとな達がしっかりと規範を示し、同時代に生きることの暖かい触れあい、社会の未来への希望、勇気を持てるような成熟したおとなのふるまいをしようではないか。

最後にこのところやたらと目立つのが、携帯電話を手にしての運転者の問題だ。今回は詳しく触れないが、注意散漫になることは明らか。ぜひ止めていただきたい。

もうすぐ4月。桜咲く明るい陽光の中、小さな胸に希望と夢を抱え登校を急ぐ新入学生の通行に遭遇するだろう。
ボクたちの交通マナーは、こうした人生を歩み始めた小さな人々へ、社会で生きることへの信頼と自信、柔らかい触れあいの大事さを学んでいく良い教材になっていくことは確かであろうと思う。

本件、信号のない横断歩道の交通問題について詳細にガイドしてくれるサイトがありましたので、ご案内します。
「信号の無い横断歩道の止まり方」
「交通安全を考える」(相互Linkしているikuruさんの父親が運営)

背景画像は「ABBEY ROAD / BEATLESアルバムジャケットより

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