Monologue 2004

 真冬の展示会と、須田賢司さん
Feb.11.2004

ここ静岡ではやっと日差しも強くなり、春への胎動を感じさせている。
先月下旬は大阪梅田阪急で私の個展があり、おかげさまで好評のうちに終了した。会場へお越しの皆さま本当にありがとうございました。

真冬のこの時季に百貨店で個展をやるという経験ははじめてだった。
お話しをお受けしたときは、どうしたものかと思ったが、梅田阪急の美術画廊ということへの魅力には抗することも出来ず承諾したのた。

感性豊かな客層と、販売力、は確かに目を見張るものがあったし、ボクの作風をご覧いただく良い機会になったという意味でも大きな経験をさせていただいたと思う。
関係者の皆さま、お手伝いに駆けつけてくださった大阪の木工家の皆さまに感謝 !! です。

ところでこの時期、百貨店での木工家具の展示は全く困った問題がある。

いうまでもなく会場の異常ともいえる乾燥度の問題だ。
ある程度は覚悟していたが、実体は予想をはるかに凌駕するものだった。
まずキャビネットだが、板差し(側板がカマチ構造ではなく、1枚の板で構成された構造)のものは側板がやはり反り、痩せ、抽斗の動きが鈍くなってしまう。ボクはボディーと抽斗の仕込みは比較的タイトに合わせるようにしているので、側板への乾燥によるストレスはストレートに抽斗に影響を与えてしまう。
一方のカマチ構造は比較的影響は少ない。
量産家具はもちろんだが、こうした環境での販売を通常のスタイルにしているところの仕込みを見ると、がたがただ。ボクにはとてもそのようなマネはできない。

使い手のところで支障がでるのは困るが、流通経路での特殊な環境をクリアさせるために、仕込みのクォリティーを落とすことはしたくない。

乾燥の異常さを示してくれたのが、「切り出し」小刀の鞘だった。
会場入り口ショーウィンドーに「愛用の道具」ということで、あまりきれいでもない鉋などの手道具を展示していたのだが、ここに鞘からはずし展示しておいた「切り出し」が全く鞘に収まらなくなってしまっていたのだ。
当然鉋の台もあらためて調整しなければ良い削りができなくなっていた。
正しい意味での愛用の手工具はこうした展示などすべきではないのかもしれない。展示用のダミー?を用意しましょう ?!
またこの乾燥は同様に人間にもストレスを与える。接客していたボクの体調も、終了間際に崩れ、発熱してしまい、工房へもどってから倒れてしまうという体たらくさだった(これは老化?の現れ)。

さて一方この時季は工房へこもって制作にあたるには最適な季節だ。一般に材木は気乾湿度にまで乾燥されたものを用いるので、湿度の高い季節だと、ちょっと環境に晒しておくだけで、この湿度の影響を受け、反ったり、加工途中、鋸を挟み危険なこともでてくる。しかしこの冬の時季はこうしたリスクがないので、少々材木を環境に放置していてもさしたる影響は受けない。ずぼらなボクにもラクチン。
ただ、ストーブの近くに材木を置いておくと影響を受けるので、置く場所を移動させるなどの配慮が必要だ。

        *          *          *

2月6日、群馬から「須田賢司」さんが静岡に講演にやってきた。
「私にとっての木工芸」というタイトルでの講演会だ。
主催は静岡工芸会、および行政の商工課だ。
ボクは須田さんを「和光」の個展のときに拝顔していたが、お話しを聞くことははじめてのものだ。

もちろん日本工芸会では監査委員という要職についているという人物でもありますし、伝統工芸展においても度々受賞をするなど、まさに名実ともに現代日本を代表する木工芸家だ。
また多くのアート、工芸関係雑誌などでの論考を発表されてもいるので、その工芸思想、工芸家としての生き方は良く知られてもいたので、会場には工芸会関係者以外からも若い職人をはじめ多くの人が押し掛けていた。

講演内容は、日本の近代木工芸の歴史を繙くところから始まり、初代須田草月氏の指物への関わり,その頃の島桑を使った指物の精緻さを明かしていく。近代木工芸としてもこの頃が最も栄華を極めたという。
そして2代目である父親の代、ことに戦後は産業構造の大きな変貌を背景に、こうした木工芸を継続していくことの困難に立ち向かう時代だったようだ。
そしてご本人の世代。70年代の社会的激動期のなかにあって、指物作家から、木工芸家として自己を意識的に進化させることで、社会的なポジショニングを獲得していく過程をつぶさに明らかにしていく。
曰く「作品そのものに価値を置く、近代的美術の中に自らを位置付けたいと言う積極的動機に基づき、自ら意識的に仕事のスタンスを変化させて来た」([九つの音色]より引用)

既に前述のように、こうしたことはいくつかの論考で触れられてきたことだが、ご本人の声を通して伝えられるとあらためてその勇気と努力、資質の凄さというものが伝わってくる。
後半では、画像を用いてご自身の作品解説だ。最近では竹橋の国立近代美術館工芸館での「現代の木工家具」展でご覧になった方も多いと思われるが、ここでも代表的な作品が展示されていたが、今回紹介していただいた作品画像では新旧多くのものを見ることができた。
お話しで興味深かったこととしては1978年この国立近代美術館での「スカンディナビアの工芸展」でのJ・クレノフなどの木工家具に多大な影響を受けたという下りだった。いわゆる指物とは異なる分野でのいわばインテリア家具としてのテーブル、椅子などへのアプローチもこうした影響であったかと思うとストンと胸に落ちる。

当時ボクはこうした世界とは縁のないところにいたので、知る由もなかったが、日本における工芸界、インテリアデザイン界ではこの「スカンディナビアの工芸展」は大きな反響を呼び、多大な影響を与えたようだ。須田さんは20代半ばの頃であったろうと考えられるが、木工芸家としてどのような方向を目指していくのか、所謂江戸指物作家3代目として重責を負い、明日を切り開いていこうという時期に現代スカンディナビアのアート&クラフトの世界を提示され、新鮮な驚きと共に自己の作家活動への大きな示唆を与えていったようだ。

他の伝統工芸の作家と明らかに異質なアプローチとして、家具調度品を積極的に制作しているが、木工芸を博物館に鎮座させるようなものではなく、現代の暮らしの中で積極的に使ってもらい、「雅のある美的生活」を提案しているところにもその影響を感じさせるし、現代日本における木工芸の方向性を指し示すものとして、我々としても真摯に彼の業績と、思考を見据えて行かねばならないと思う。

多くの優れた現代の木工家のなかにあっても、私見としては須田さんは最高峰の作家と考えているが、これは伝統工芸を継承する代々の家系に出自を持つことで揺るぎない技能とそれを支える心を今に伝え、先に述べたような木工芸を自律した芸術へと高めるべく、自己研鑽を重ね、練度を高め、未知の領域へ向け積極的にチャレンジしていることに最高の敬意を払いたいと思うからだ。

1木工家としては、このような傑出した人物を擁する木工界を誇らしくさえ思えてくる。
ボクが木工を志した頃からの大きな指標であった須田さんだが、20年近く経過し、ますます捉えきれない境地へ向け屹立しているようだ。

その後料亭へと席を変え10数名での懇親会に参加させていただいたが、飾らない人柄での楽しいお話しで、大いに木工談義に花を咲かせた。ボクのトンチンカンな質問にも話を逸らさず、懇切に解説してくれたものだ。

Topへ