1年間お世話になりました(Web開設1年めのごあいさつ)
このサイトを立ち上げてほぼ1年が経過した。
これもアクセスしていただいた皆さまのご支援のおかげと感謝している。
簡単に振り返ってみることも無駄ではないと思うので、少し整理してみる
これまで多くの方に訪問していただき、また様々な内容のアクセスを頂いた。
もちろん業務上からも、ほぼ期待を裏切らない成果を生みだしてくれた。
Webサイトから家具の情報を得、またこれを注文するということはネットショッピングが普及しつつある状況下、決して驚くことではないのだろうが、ボクが制作しているものは価格訴求でアピールするようなものでなく品質、あるいはオリジナリティーで訴えるものなので、ネット上からの販売対象としては不向きだろうと思われ、注文などは期待できないと考えていた。
しかしそれにもかかわらず、数度のメール交信を経て、見積もり、契約受注、というケースが決して少なくない。購買者からすれば、400px程の写真でどれだけの情報を得、これへの信頼を託すことの危険性を承知しながら、あえて求めてくるということの意味を考えてみなければならない。
もちろんこうした客層のなかには、以前どこかの展示会でボクのものを見てくれていて、頭の隅っこに引っかかっていたものが、Webから呼び覚まされたという人もいるだろう。また数少ないメディアへの露出から信頼を託す人もいるだろう。
そのアクセスは多様であるが、いずれにしても重要なのは、バーチャルではないリアルなものをいかに多くの人に見てもらうか、ということがとても重要だということには何ら変わることはない。
まだまだこの世界では知名度が低い工房なので、消費不況のなか成果を生み出すのは決してたやすいものではないが、ここは積極的に展示会を重ね、作風を知ってもらい「工房悠」のイメージを定着させ、できることならば一つのブランドとして評価されるようにならねばならない。
また受注への販路としてこのWebサイトを位置づけるだけではない、様々な新たな出会いを生み出してきたことも評価したい。
弟子入り志願の若者からはじまり、木工技術の問い合わせなど、アマチュア木工家からのアクセスも多かった。書店へ行けば多くの木工技法書や、雑誌のたぐいが並んでいるので、それらを読み込めばかなりのことが理解できると思うが、クリックひとつでアクセスできる世の中なので、気安くイージーに問い合わせしてくるようだ。もちろんこうしたことも拒まずオープンに出会いを楽しめればよいだろう。
またインテリア雑誌にWebを宣伝してやるから・・・といったアクセスも多い。そのほとんどは広告、つまりは有料なのだ。従って貧乏なボクは全てお断り。広告に依拠することなくインディペンデントでいきたいから苦労してWeb構築、発信しているのですので、広告は必要ない。
さてこのサイトも2年目に入るが、コンテンツ、編集、デザインともまだまだ稚拙。改修、強化せねばならないこと山積。
いつまでも「Webは素人ですから・・・」と言ってられるわけでもないので、仕事終了後、夜なべで目をこすりながらでも、キーを叩きたいと考えています。
どうも一年間ありがとうございました。
2003年は激動の年になりそうですが、自己を見失わぬよう、冷静に、しっかりと地に足をつけ良い仕事をしていきたいと思います。
どうぞ皆様も実りある良い年になりますことを祈念して、お礼のごあいさつにさせていただきます。
木工家とFIFA Worldcup Korea Japan 日本代表チームの狭間
昨日('02.12.28)からヤマハリゾートホテル葛城北の丸での大門嚴展がはじまった。
さっそく友人とともに駆けつけて開催を祝ってきた。
会場は年末だというのに、というか年末だからというべきか挙式も3組入っていたり、宿泊客も引きも切らない勢いで混雑していた。昨年はこんなではなかったのに・・・。昼食の客単価もこのご時世というのに昨年の5割り増し、これもそれもやはりワールドカップ効果のようだ。
展示作品は旭川デザインコンペ入選作の「スプリングチェア」をはじめとした新作を中心にキャビネット、テーブル、小品など会場狭しと多くの作品が並んだ。
大門さんの作品の特徴は、木工ウォッチャー、木工家の方々でしたら既にご存知だろうと思うが、若い頃からその卓越した技術については、技能オリンピックの日本代表になり、優秀な成績を納めていることに示されるように他を圧倒する水準を保持し続けている。
しかし彼の優れているところは、この類い希な木工技術を発想豊かに、斬新なまでに、実にオリジナリティーあふれるデザインの中に昇華させ、それぞれの作品の中に大門ワールドとも称すべき他を寄せ付けない独自の世界を構築しているところにあると思う。
昨年、米国カリフォルニアのレッドウッド、J.クレノフの教え子を前に講義をし、クレノフ自身も大いなる刺激を受けたことに示されるように、今や国際的に活躍している。それまでのオリエンタリズム、伝統的日本の木工という概念での評価というものではなく、現代世界の美術工芸品として正当に評価されつつあるのだ。
2度にわたる「IFDA 国際家具デザインコンペ旭川」の入選も宜なるかなと思わせるものだ。
個人的にもよいお付き合いをさせていただいているが、これは彼のキャラクターがアルチザン然とした暖かいハート、オープンハートの人で、超然とした作品を作る人にみられがちなナーバスな内面を見せないところが、またすばらしいのだ。
* * *
会場はフロント先2階のフロア、及びギャラリーだ。ここにはFIFA Worldcup Korea Japan 日本代表チームの思い出の寄せ書きやら、関連グッズなども展示してあり、宿泊施設へのアプローチにもなっており、最良の条件下にあるのだが、やはり一般の宿泊客には大門さんの代表作の一つ「木ざぶとん」には興味を示すものの、どうしてもこのWorldcup関連グッズに眼を奪われてしまうようだ。
「おいおい、もっとアート&クラフトにも興味を示してよ !」と、のど元まで声が出てくる。
ところでこの会場では以前毎年秋に「ヤマハ工芸展」なるものを開催していた。工芸の全てのジャンルの、人間国宝をはじめとした現代日本を代表する作家の新作を観覧することができたのだった。ボクもたいへん楽しみにしていたのだが、残念ながらこの催しは数年前に取りやめになってしまった。
この葛城北の丸は、古民家を解体移築したもので、建築物としてみても重厚で趣のあるもので、ボクは自分の仕事柄、本格的軸組工法のすばらしさ、また建具をはじめとした細部にとても興味深いものを感じたものだ。
またおおきく拡がった日本庭園にも、四季おりおりの風情を堪能することができる。
立地はJR東海の袋井、東名高速、袋井ICから8Kmほど北上した遠州の田舎だ。ノートブックパソコンで、PHSを使い無線でWEbに接続を試みたが、残念ながら電波は届いていなかった。
以前は携帯電話もダメだったようだが、合宿中の中田英寿がクレームを付け即座に対処されたそうで、今はOK ! だ。
* * *
なお作家本人もここで年越し、最終日まで立ち会うそうなので、商談中でなければ気軽に声を掛けてやってください。
(よくこうした会場で同業、あるいは関連する立場の者が、自分の氏素性も名乗らずに、技術的なことを尋ねる光景を見かけるが、これは遠慮したいところだ。まずは敬意を表し簡単でいいから自己紹介をしてからにしたいものだ。
また見方にも注意したい。家具の扉やら、抽斗やらを引っ張り出したりして見ることは、遠慮すべきで、どうしても必要とあらば本人、あるいは立会人の許諾を受けてからにしたい。一言いえば大門さんはオープンに教えてくれます。)
「永遠の一日」テオ・アンゲロプロスの映像美
先日NHK 教育TVでテオ・アンゲロプスの近作「永遠と一日」が放映されていた。
寡作の監督なので、見逃さないようにしているのだけれど、この作品は初見だった。
古老と少年の交流を描いたいわゆるロードムービーともいえるような展開だっだが、相変わらずの独特の詩的な映像美だ。また数分間にわたるような長回し(ロングショット)も随所にあり、アンゲロプロスならではの世界を観せてくれていた。
その上でやはりテーマの重さを感じないわけにはいかない。死期の近さをさとる古老の寂寞感(せきりょうかん)、「人生最後の一日」を過ごすための旅路で出会う、アルバニアから難民のように流れてくるストリートチルドレン。その少年を国境まで送り届けようとするが、あまりの凄絶な国境の状況(国境を仕切る鉄条網にはいくつもの死体が、逆さに張り付いているのだ。そのアルバニアの向こうにはさらにむごい状況のコソボとの国境があることを考えると、この主役とともにただただ頭を抱え込み立ちすくむしかない)に、少年を送り返すことに恐れをなし、共に帰路につくのだ。バルカン半島をめぐる現在の状況の一端を象徴させるような情景だ。
またこれまでのアンゲロプロスの映画と少し異なり、自身が語ってもいることなのだけれど、この主役の詩人はアンゲロプロス自身を映像化していることは明らかで、まさにこの監督は自らの人生を映画化し、あるいはまた映画そのものを生きていることを意味するような重く深い映画だ。
* * *
この映像作家を知ったのは、1975年、日本での初公開「旅芸人の記録」以来だ。この作品はある種の衝撃を受ける映像体験だった。その当時、軍事政権下であったギリシャでの旅芸人一座のギリシャ悲劇の巡演を横糸にし、いくつかの時代を重層的に行き来しながら描かれる縦糸で構成される作品だったので、一度見ただけではなかなか理解できるものではなかった。
テーマの深さだけではなく、その独特な映像美(その後の同監督の全ての映像を通して一貫したものだが、)はギリシャとはこういう風土なのか、と妙に納得させられるものだった。エーゲ海の明るい空気とはある種対照的なくぐもった灰色の、冷たい張りつめた空気感。それ以前の映画では「その男ゾルバ」(1964,マイケル・カコヤニス監督・脚本,アンソニー・クイン主演)でしか、同国のイメージを持てなかったが、映画を通してその国の歴史、文化に触れてきた者としては、アンゲロプロスの映像イメージでギリシャの空気を感じ取ることができるのは幸せなことだ。
(余談だが、そういえば小川国夫のデビュー作「アポロンの島」はこの国を旅する著者の紀行小説だった。)
当然この監督の作品は日本でも高い評価を得、その後「アレキサンダー大王」「シテール島への船出」「ユリシーズの瞳」「霧の中の風景」等々、秀作を多く発表している。
「旅芸人の記録」は当時軍事政権下での多くの制約下でのゲリラ的撮影を余儀なくされたようだが、民主化された後の監督曰く「確かに撮影での制約はなくなったが、しかしむしろ緊張感に欠け、良い映像を撮ることの困難さを感じている」旨の発言があったことを覚えている。確かに最近の映画で活況を呈しているのはハリウッドのものを除けば、何かしらその国が不安定だったり、途上国から近代化を計る過程での、産みの苦しみともいうような様々な矛盾を抱えているところの国のものが良いようだ。つまりテーマが鮮明で、同時代を生きる多くに人々に感銘を与えるからだろうと思われる。
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ボク個人は最近あまり映画館に足を運ぶことが少なくなってはいるが、しかし最近観たものも、こうしたものがほとんどだ。
イランのアッバス・キアロスタミの一連の作品。トルコのユルマズ・ギュネイの作品(路、群れ)。中国のチャン、イーモー(初恋の来た道、お母さん、至福の時)、ベトナムのトラン・アン・ユン(青いパパイヤの香り、シクロ、夏至)(とても瑞々しい、官能的な映像美)スペインからは「蝶の舌」、アカデミー受賞作の「オール・アバウト・マイ・マザー」のペドロ・アルモドバル等々。
ボクの通常のライフスタイルは朝早くから、工場に入り、19:00位まで仕事。その後入浴、食事となり、新聞チェックしながらの一服。その後21:00位からパソコンに向かったり、ドラフターに向かったりのデスクワークだが、TVで観たい映画がある時は、全てを中断しTVの前にどっかり座り込んでしまう。以前はレンタルビデオ屋からソフトを借りてくることもあったが、これを始めるとデスクワークも全く出来なくなるので、戒めている。最近はDVDソフトも充実してきているので、良質な画像で楽しむことができるが、やはりこれぞという映画は劇場に足を運んで観たいものだ。それが例え上京しなければ観られないものでも。
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ところで残念ながら木工に関わりのある映画というのが、寡聞にして知らない。内外問わず、関連するような映画を知ってらっしゃる方がいましたら教えてください。
数年前フジテレビ系で、「シングルス」という天海祐希主演のドラマがあった。これはヒロイン天海祐希が子持ちのシングルでカメラマン(カメラウーマン?)役、その新しい恋人が木工職人という設定だった。
この木工職人という役柄をサポートしたのが、青山にショップを構え、秀逸な家具を制作販売しているAさんだった。
ドラマの重要な役回りで、ヒロインとその子供、そして新しい恋人の3人が座るベンチをこの木工職人が制作するというストーリーであったために大道具としてこのベンチが欠かせなくなったようなのだが、残念ながらこのようなベンチを商品化していないAさんから、ボクのところへ打診があり提供することになった。
このサイトのGalleryにはベンチがひとつ載せてあるが、この時はもう少しコンパクトなもので、OZONEでの企画展、「家族の椅子」展に出品したものだった。丁度展示企画のコンセプトと、ドラマ制作からの要請が合致したものだったので、タイムリーだった。
恋人の木工職人が、このシングルマザーとその子供とともに生きていこうという象徴的なイメージとして、3人掛けのベンチを制作し、彼女のアパートにこれを持ち込み子供を挟んで3人座るシーンが何度かあった。それからの3人の生き方を暗示するというような設定だったようだ。
宝塚出身俳優(最近は女優という言い方はされなくなってきているようですね)だからといって格別興味があるわけではないし、またこのような個人的体験があったためというわけでもないけれど、天海祐希の女っぷり(?)は好きですね。NTT ADSLのCFなどのコミカルな役柄もハマリ役といった感でナカナカです。
以前NHK名古屋で制作されたドラマで「オークビレッジ」がとりあげられたこともあったようだが、今後このような木工職人がクローズアップされるような場面も増えるのだろうか。しかし心しておかねばならないのは、こうしたメディア戦略というものは、概して市場から必要とされれば取り上げられるだろうけど、用無しとなればうたかたのように消え去ってしまう。つまりは消費されてしまうということは世の常です。
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ちょっと無理やり映像と木工を繋げてしまいましたが、映像がもたらす快楽に伍するだけの力を木工の世界でも持ちたいと思うのはやはりドンキホーテ的でしょうかね。
(久々のMonologueだったけど、木工情報からはかけはなれた、ドウデモイイ極私的映画世界の話に終始しちゃいました。スミマセン)
苦悩にゆがんだジタンの顔が意味するもの、そして日本代表のベスト16 2002 FIFA Worldcup Korea Japan
6月18日、降りしきる雨のなかの宮城スタジアム。試合終了を告げる主審コリーナの無情なホイッスルの中、代表選手の涙が雨にかき消される。
日本代表チームはH組予選リーグを一位で突破し、ベスト16に名を連ねたが、決勝トーナメント初戦相手のトルコ戦を前にボクも含め「与しやすい」との、今思えば甘い分析と願望が蔓延していたことは否めない。確かに予選の戦績と勢い、そしてホームでの戦いということを考えればアドバンテージは日本にありと思うのは決して正鵠を誤ったとは言えないだろうと思う。しかしこの結果こそサッカーなのだろう。
戦いの内容は前後半通してフィジカル面ではやられることも多かったが(かなり荒っぽいトルコのコンタクト)、内容的には決して負けていなかった。ボール支配率も好機も圧倒的に日本が勝っていた。選手は恐らく戦っていて負けているとはとても考えられなかったのではとさえ思える。ただ一つ、前半12分のつまらないミスからの相手側コーナーキックで見事に決められてしまった。ただそれだけだった。それだけに何か受け入れがたい悔しさが募るのも事実だ。
やはりここにおいてもよく言われる、決定力不足ということに課題が集約されてくるのだろう。トルシェ監督が日本選手に求めてきたものの一つに選手一人ひとりの「人間的強さ」というものがある。以前よく取りざたされた中田英寿との確執は、いわば日本人離れした資質、自我の確立とのせめぎ合いにあったと見るべきだろう。仏出身のトルシェこそ仏革命における「近代的自我」を自覚し、これをどうみてもアジア的でしかない日本に植え付けようと苦闘したのではと考えられなくはない。彼が日本に乗り越む前に既にこれを体現しつつあった中田に注目もし、またある種の個と個の激突が生まれるのも必然だったと言えるのかも知れない。しかしこれは2002 FIFA Worldcup を通し中田のプレーヤーとしての圧倒的強さ、うまさ、そして確固としたチームリーダーとしての存在感を見たとき、この確執は見事に昇華したのではと考えられるだろう。予選リーグ、ベルギー戦翌日の「朝日新聞」朝刊一面の署名入り記事、「中田はこれが最後の日本代表としての戦いになる・・・」旨のリークはその後の記者へのインタビューに対し怒り、反論してはいたが、こうしたある種のしたたかな自我こそトルシェが日本選手に求めたものだったのかもしれない。
またこの2002 FIFA Worldcup Korea Japan は既にこの時点で(6/18)優勝候補のアルゼンチン、ポルトガル、そしてあのジタンを擁するフランスまでもが、敗退してしまっている。敗因はウォッチャー、解説者に委ねるとして、歴史的に実績のあるチーム、前評判で盤石なチームが常に勝ち続けるというほど Worldcup はあまくはないということなのだろう。
(その後なんとあのサッカー王国、伊が韓国に敗退した。韓国のがむしゃらなファイティングスピリッツ、強さが光った試合だった。)
そうしたなかにあって、日本がここまで勝ち続けることができたのも、みるみる力をつけてきた代表選手の実力があますことなく発揮されたということであり、ホームというアドバンテージ、組み合わせの妙、などあらゆる要素を生かし切り、戦い抜いた結果であろう。次の独での2006Worldcupへは、あらたな戦力を構築しなおし、勇躍、臨んでもらいたい。ベスト16は日本にとり間違いなく金字塔であり、この財産は次の世代へと花開かせて行かねばならない。
さて仏代表ジネディーヌ・ジタンは、5/26の韓国との親善試合での怪我が快復せず、初戦、第二戦とベンチ入りさえできなかった。しかし第三戦には負傷をおし、先発メンバーとしてピッチに立った。時折オーゥ!とうならせるに十分なトリッキーなパス出し、強力なシュートシーンがあったものの、脚をもつらせたり、覇気を感じさせない動きなど、その戦いぶりは好調時のそれとはかけ離れたものでしかなく、フランスサポーターを歓喜させるようなプレーは完全に封じられてしまっていた。
日本の地を踏むことなく(決勝トーナメントに勝ち進めば、ボクの工房近くの浜岡にキャンプを張る予定だったのだが・・・)韓国を立ち去るときの、苦悩にゆがんだジタンの顔は、彼自身言い訳などしないものの、もちろんこの故障から思うようなプレーができなかったことの表れなのだが、ボクにはただそれだけではないのではと感じられた。それはこのところの仏でのジタンがおかれたある状況を象徴していと思われたからだ。
先の仏大統領選挙において、右翼民族派「国民戦線」のルペンの得票が世界を驚かせたことは記憶に新しい。曰く「仏代表チームとはいっても、寄せ集めの混合チームじゃないか。純粋の仏代表とはとてもいえない・・・。」などと移民排斥の論陣をはり、経済的混迷状況下での雇用不安をついた拝外主義的雰囲気を扇動して驚くべき得票を獲得していったのだ。あまつさえ「ジタンの親父は対アルジェリア戦において仏側に立った」などとデマゴギーをまき散らし、ジタンを怒らせた。4年前のFIFA Worldcup仏大会で、この代表チームが他国チームを蹴散らし優勝したときは、「独はトルコ系の選手を入れなかったが、仏は多民族国家として、多くのアフリカ系選手を擁したからこそ強かったのだ。この勝利は国民戦線のものだ・・・。」と誇ったものだったのに、数年たたずしてこの調子だ。苦悩にゆがんだジタンの顔は、いまの世界情勢のある一面を象徴するものといっては深読みしすぎか。
このことは日本において全く関係ないとは残念ながら言えない。ベスト16に勝ち進んだ力の一つに12人目の選手>>観客席を埋め尽くした、にわかファンも含めたサポーターの人たち。他国のメディアからもすばらしい応援だといわしめるほどのマナーであり、相手国選手へのプレッシャーになったことは間違いないだろう。ただあまりにお気軽に自らの顔を日の丸に染め上げたり、国歌を斉唱したりして偏狭なナショナリズムに陥るとすればオイオイちょっと違うんじゃないの・・・と不安にならざるを得ない。さらに心配なのは「フーリガン」への過剰とも言えるガードの固さだ。他国の人々と交流できるまたとないチャンスを自らつみ取ってしまうことにも繋がろう。ぜひ他国のサポーターにも懐深く日本の実状を見せ、そして楽しんでもらいたいと思う。
今夜でベスト8が決まり、さらに激戦が期待できそうなのでボクもおおいに楽しみたいと思う。
* * *
閑話休題。昔「ル・ジタン」というアランドロンを主役とする仏伊映画(1975)があり、ボクの数少ない映画体験のなかではベスト10にはいる名作だった。もちろん仏代表のジタンとは関係ないのだけれど、何かジタンの苦悩がアランドロン演ずる主役の暗黒街に生きるジプシー男(ル・ジタンとはロマ >> 所謂ジプシーを指す。仏には同じくジタンというタバコもあるようだが。)の哀愁にみちた顔とだぶってきてしまうのだ。原作、脚本、監督はあのジョゼ・ジョバンニ。この映画作家は他にも多くのフィルムノワール<犯罪映画>を書き、メガホンをとっている。なかでもボクの好きなのは「冒険者たち」(1966)だ。若さをもてあますアランドロンといぶし銀のリノ・ヴァンチェラが男の友情で結ばれ、これに微妙な三角関係でジョアンナ・シムカスというアイドル女優がからんでいた。
因みにジョゼ・ジョバンニは1923生(従って何と79才)、久しくメガホンをとっていなかったので,亡くなったのかと思いきやなんと近く自伝的な内容の映画が封切られるという(「父よ」 Mon Pe're シャンテ・シネなど)。
大きく主題とかけはなれてしまったが、サッカーというスポーツ競技においてもその時代の社会情勢を反映させるものだということにあらためて思い知らされたFIFA Worldcupだった。
追)最後まで読んでいただき感謝します。どうぞご意見、反論など何でもBBSまでお願いします。
個展がはじまります。
個展「美しく快適な空間をもとめて」の会場設営もほぼ終え、オープニングを迎えるばかりになりました。
搬入日はあいにくの雨。小降りになった頃合いを見計らい、一気に搬入。とは言いましてもセッティングが終えたときは深夜、4時間近い作業でした。
木工家具の展示会の搬出入は、まるで引越をしているかのよう。
しかし今回はギャラリーでの個展ですので、デパートなどでのそれに較べはるかにラクチン。搬入ルートの煩雑さはなく、競合する業者とのつばぜり合いもなく、マイペースの淡々としたものです。
会場は、お屋敷街のなかにひっそりと佇むレストラン併設のギャラリー。本格的フレンチスタイルのコース料理から、お気軽なスナックまで、一流シェフが腕をふるってくれてます。
ギャラリー部門もほぼ20坪のスペースを確保してますので、ボクの作風をそれなりにトータルに観覧いただくことができるだろうと思います。
畳敷きのスペース、フローリングのスペース、それぞれ和と洋のスペースを展開しています。
また今回は、これまで必ずしも十分でなかった、木工小品のラインナップも充実させるべく心がけまして、様々な花台、ステーショナリー等、新作を取りそろえましたので、楽しんで頂けるものと思います。
3週間という長丁場ですので、是非お近くの方には、お時間の取れるときに食事などを兼ねてお越しいただきご高覧いただきたいと思います。
ボクは週末、金、土、日は立ち会う予定でいますので、お気軽に声を掛けてください。
写真は搬入運搬途上、食事に立ち寄った東名高速道路PA構内での山桜の近景。サクランボが見事に実り、一面の新緑に色を添えていた。野鳥が盛んにアタックしているのでそれを真似、口に含むとほろ苦く、とてもデザートになるようなものではなかった。
「洗剤と石けん」
今日は木工を離れて、ちょっと日常の生活での出来事について書きます。
過日、ある人からギフトで洗剤を頂きました。
大手洗剤メーカーのヒット商品です。こうした洗剤はギフトとして喜ばれるようで、よく選ばれるもののようです。
しかし残念ながら拙宅では15年位前から洗剤は使用しません。洗濯はもちろんですが、シャンプー、台所、歯磨き粉、など洗浄に使うのは全て石けんです。(おかげで髪はツヤツヤ、手はスベスベ)これはいうまでもなく環境汚染を極力抑えよう(ローインパクト)という考え方からです。
従いまして、このようなギフトの時はとても困ります。食品などでしたら、お隣などに差し上げることもできますが、洗剤を横流しするわけにもいかず、結局送り元の地元のデパートに返品手続きをすることにしました。
Iデパートのギフト担当窓口に出掛け、交渉いたしました。その時の対応です。
私:「私のところでは、洗剤は使いません。石けんでしたら喜んでお受けしたいのですが・・・。引き取っていただけませんか?」
担当:「洗剤を使わないとはどういうことでしょうか。皆さん生活上欠かせないものでしょう。よくおっしゃることがわかりませんが・・・。」
ボクは困り果て、洗剤と石けんの違いなどを少し説明させていただきましたが、納得いただけないようでした。しかし結局ご年輩の女性職員が出てこられ理解していただき、然るべき手続きをとらせて頂けることになりました。
一流といわれるデパートの商品知識はこの程度のもの。
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このところ狂牛病問題、雪印問題にあらわれた食品への不信は拡がる一方ですが、やはり直接口にする食品だけに多くの人は敏感に感じてしまうのでしょう。
しかし食品に限らず、市場には健康的な、サスティナブルな生活を送るのにふさわしくないものが、満ちあふれています。私たち消費者はメーカーのCMなどに踊らされず、しっかりと正しい情報を入手し、自己防衛しなければなりません。
ボクらの世代は、ほとんど子づくりも終え、(まだ励んでいるかたにはスミマセン)あまり影響はないかも知れませんが、これからの世代の子供達はとても心配になります。いかに自己防衛しようが、この大地で息をし、暮らして行くからには防ぎようがないといわねばなりません。
一度皆様にも「奪われし未来」(翔泳社)などを一読されることをお勧めします。
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ところで、よく「地球にやさしい○○○・・・」などといった表現が横行していますが、これはしかし人間の勝手気ままな不遜さをいみじくも言い表しているのではないかとも思います。
地球という天体からするならば、人間界の現代工業社会の産み落とした汚染も、数千年、数万年の天文学的時間単位からすると、どうということはなく、人間という種、ホモサピエンスの死滅があるとするならば、地球にとってはむしろ歓迎すべきことで、はるかなる時間の単位ではあろうけれど、残された汚染は自浄され、そこには曇りのない青々とした美しい空が拡がっているだろうとある種の確信を持って想像できるし、もしかしたら人間に変わる新たな種が支配者として君臨することになるのだろうと考えられます。
つまり地球へのローインパクトの生活スタイルということは、何も地球へ与えるギフトではなく、人間の生存環境を守り、来るべき次の世代への僕たちの歴史的な使命のひとつだということではないでしょうか。
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木工をやってましても極力汚染物質になるような素材は使用しないように心がけていますが、実体はこれがなかなか大変です。工房悠はほとんど合板は使用しませんが、接着剤の問題、塗料の問題など多岐にわたり検討課題があります。
Webサイトなどからこうした情報を入手しまして、テストしたりしまして工房悠にふさわしい制作スタイルを構築していきたいと考えています。
訪問者のかたで類種の良い情報がございましたら教えてください。
尚、現在当工房近隣の大井川町の新しいギャラリーにて「木の椅子展」を開催していますのでお近くの方はぜひお越しください。
オープンの土曜、日曜はお天気もよく、多くの方に来ていただき観覧していただけました。日本庭園つきのステキな古民家ですので皆さん「とても落ち着けますね」と仰っていただけました。
「ブラックウォールナット」の魅力
ボクは好んでブラックウォールナットを使う。理由は?と聞かれても明快な返答には少々困る。
これには様々な要因があるからなのだが、いくつか触れてみよう。
まずはこのブラックウォールナットという樹種の魅力について。
このサイトのGalleryの作品にも多く使われているのでお気づきだろうが、第一に、他にはない独特の材色を有することにその特徴がある。心材はチョコレート色から紫赤色、紫黒色、つまりは色は一様でなく、縞状になり、美しい模様の材面が見られる。また木理はしばしば不規則に交錯し、これが化粧的価値を高めている。樹齢のいった根上がり部にはよくこうした杢がほとんどといって良いほど醸す。拙工房の木工作品のそのほとんどの仕上げは、オイルフィニッシュなのだが、この塗装方法での仕上げはブラックウォールナットのこれらの特徴をより鮮明に引き出してくれる。
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次に、この樹種の材質だが、気乾比重は6.0〜6.8,重厚の部類で靱性は高くとても粘り強い。それが証拠には、銃床(ガンストック)に用いられるのはほとんどがこのブラックウォールナットだ。
従って昔から、最高級材として様々な木工に用いられてきており、これに似た材色を持つ材にはよく○○ウォールナットと呼称することも多かった。
ボクたち木工家は、材の評価をこうしたテキストとして了解することはもちろんだが、それよりもむしろ製材から始まる、一連の加工工程での体感的、直感的な評価に信頼を託す。ブラックウォールナットは加工性が良い。つまり靱性が高く粘りがあるため、切る、穴を開ける、削る、等の加工において欠損しにくく、細かい加工にも無理なくついてきてくれる。わけても仕上げ削りは他の材種と異なり、とても緻密で、油分が多く、よく研ぎあげたカンナで削れば、実に艶やかに仕上がり、ただそれだけのことだが気分が高揚してくるのだ。ひとことで換言するならば、仕事をしてて快適なのだ。(木工において不快な仕事というのも実はあり、ヤニがつきまくり不快はパイン系、やたらとクシャミ、咳がともなう南洋材、パサパサしてねばりがなくすぐ欠けてしまう、アッシュなど・・・)
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二つのブラックウォールナット
ただもちろん単価としては広葉樹のなかでも高いほうで、銘木扱いの部類だ。また、日本においてこの北米材を入手することは、容易でもあり,また逆でもある。どういうことかというと、現地挽き製材後、製品として輸入されるものは、比較的容易といえる。その逆、つまり原木丸太として入手することは、かなり困難といわねばならない。実はこの2通りは流通の違いだけではなく、元は同じ材種とはいえ、似て非なる物といわざるを得ないのだ。
原木丸太を入手すれば、好きなように製材、乾燥管理ができる。一方、製品輸入のものは、本来のブラックウォールナットの木味を殺してしまっているのだから、話はちょっとやっかいになる。どういうことかというと、人工乾燥の過程で、白太の白い部分に心材の濃色を移すという詐術をほどこしているのだ。ブラックウォールナットを使うときは、通常白太の部分は色、材質の点から嫌われ除外するのだが、この歩留まりをよくするための人為的操作だ。
その結果、確かに白太は程々、ダークになっておりそれなりに使えるのだろうが、一方心材の方はというと、材色の本来の魅力は全くといってよいほど損なわれている。特にこの材種ならではの明るい赤紫色の特徴はただプレーンな灰黒色に成り下がっている。量産工場ではこれを塗装過程での着色などで、本来の材色に近づけることをしているのであろう。

これは量産、工業製品のマテリアルとして扱われるための市場からの要請なのだろうし、天然資源の有効利用という観点から評価すべき技術であろう。しかしここにも天然素材の木材を工業製品の他の素材と同様に扱うムリという問題が象徴されているように思われる。残念だが、ボクとしては、ブラックウォールナットを使う以上、本来の材色を求めるため、やっかいでも原木丸太の入手、製材、天然乾燥の方法をかたくなに守っていきたいと思う。
* * *
日本にあるクルミ(鬼胡桃、本胡桃とも呼ばれる)は性質としては同属同科目の樹種であるため、似てはいるが、上述した特徴に照らすと残念ながら、足下にも及ばないといわねばならない。
一方好んで使うCLARO Walnutはこのブラックウォールナットの亜種だが、とても良い材種なので改めて紹介する。この他にも、国産材以外の良木を様々用いているが、これも稿を改めて紹介したい。
「天声人語」の語る「座力」とは
今回は、椅子について少しく考えてみたい。
というのも、『朝日新聞』「天声人語」(2002.1.1 )に興味深いコラムがあったからだ。まずはここに転載する。
* * *
いろいろな力があるもので「座力」というのがあるのを知った。学者や芸術家はたいへんな体力を必要とする。重い本や道具を移動させることのほか、何といっても長時椅子に座っている能力が欠かせない。それを「座力」という
▼国語辞典には載っていない。日本にはなかった言葉なのだろう。古くからのヘブライ語で「コーアハ・イェシヴアー」というそうだ(池田裕『旧約聖書の世界』岩波現代文庫)。かの地では、幼いころから聖書の勉強などで「座力」が鍛えられる。ユダヤの人々から優れた学者や芸術家が輩出する一因かもしれない
▼詩人の長田弘さんの近著に「読書のための椅子」という章がある(『読苔からはじまる』NHK出版)。この読書の達人が「読書のためにいちはん必要なのが何かと言えば、それは椅子です」といって椅子を論じている。「いい椅子を一つ、自分の日常に置くことができれば、何かが違ってきます」
▼寝そべって読む癖がついたのはいい椅子に巡り合わなかったせいか。そう思ったりもする。いずれにしても正月というのはこの「座力」を試すいい機会には違いない
▼ことしも世界は揺れ動くことだろう。「座視」するに忍びないことも多々起きるだろう。しかし、右往左往はしたくない。こんなときにこそ、「座力」を養っておかねば、と思う
▼長田さんの結語を借用すれば、こうだ。「すべて読書からはじまる。本を読むことが、読書なのではありません。自分の心のなかに失いたくない言葉の蓄え場所をつくりだすのが、読書です」
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「座力」という捉え方もユニークであるが、確かにボクもホームページづくりで、このところ長時間のデスクワークを経験させられたが、工房での木を相手にした仕事を身上とする者の身とすれば、決して楽な時間ではなかった。「座力」の弱さ故のこと?。
工房を設立してからというもの、少なからずボクのライフスタイルにあったはずの読書の時間は明らかに大きく削られ、工房に入っていない時間も図面描き、デッサン、などに費やされ、読書といってもせいぜいデザイン書、技術書などにかたよってきている。(最近はこれがホームページ作成、運用に関わるテキストに集中しつつあるが、)これは自営する以上、やむを得ない時間の配分だろう。しかしやはり良書、古典などを読書することは重要で、ひいては木工作品の創作にも多くのインスピレーションを与えるかもしれない。このことについてはまたあらためて考えてみたいが、工芸というものは、それぞれの素材を通してその作家の感性、教養、インテリジェンスを表現するものだろうと考えているので、「読書」はやはり必須といわねばならない。「天声人語」氏はそのための「座力」を養わねばならないということを言ってる。
そこで「椅子」だが、工房悠の椅子はまずは掛け心地、長時間座って疲れない、という条件に見事に合致していることを自賛したい。人間工学からの構造設計、そして加工、仕上げの丁寧さは、「座力」を養うパートナーとして十分満足していただける完成度を持っていると考えている。椅子のデザインについてはいずれ稿を改めて書いてみたいと思う。
ホームページの開設について その2
工房を設立して14年、パソコンをいじりはじめて6年めで、一念発起して、ホームページを起ち上げることを決意。様々なH.Pを見たり、作成ソフトのテキストと取り組むなどしてようやくOPENにたどり着きました。
それまでグラフィックソフトは触れたこともなく、全くの素人。決して若くはないボクにとってはただただ苦行。しかしせかされるように木工現場に立って仕事するのとは違い、リフレッシュして楽しく作らせてもらったことも事実です。
H.Pを作成することは昨今、垣根も低くなり、その意志さえあれば誰でもできる環境になってきています。しかし一方、伝えたいことを的確に表現し、かつ多くのアクセスを望むとなると、やはり現在のWeb Siteの技術環境を反映させ、快適にクリックしてもらえるようなサイトでなければ意味もありませんし、これを追求することはボクにとっては苦難であったことを告白せざるをえません。
パソコンを導入するにあたり、ある人から「絶対MACだよ・・・」と勧められたまま、MACユーザーになったまではよかったのですが、近隣に教えを請う先輩は皆無。独学でのスタートであり、グラフィックなどは遠ざけてきましたので、今度という今度はそのバチがあたりました。
OPENさせ世に出したからには、批判、指弾を受けるのも覚悟。しかしそれ以上に広く木工家具に興味を持っていただけるものと確信しています。どうぞ批評、アドバイス、お問い合わせなどを本サイト、Contact Usあるいは管理者あてのMailまでお寄せ下さい。
アップロードして2週間。賀状にてサイト開設の告知をさせていただいたので、反響はまずまずといったところ。検索エンジンの登録も試みてはいるが、これらが実効、反映されるのはまだ先のことでしょう。
しかし、このようなサイトを探しネットサーフしている人もいることも事実のようでした。あるショップから「一度お会いしたい」旨のメールも飛び込んできたのでした。さらにこのサイトを有益なものにするための、コンテンツの充実、デザインの改良(自分でもあまりの稚拙さにあきれるぐらいですので・・・。)をドンドンやっていきたいと考えています。
さしあたっていくつかのデザインの改良を施し、また[Contact Us]のコーナーを整備いたしました。いわゆるCGIフォームアンケートですのでどしどし記入、送信してください。
BBSにつきましては、現在制作中ですので今しばらくお待ちいただきたいと思います。
大寒ということで、厳しい時季ですが、風邪などひかぬようお気を付けてください。
ボクは正月早々風邪でダウンしてしまいました。どうもこのところ工場での木工作業より、ホームページづくりのためにパソコンにむかっている時間が多いためと考えられ、我々の肉体労働も大変だけど、デジタル、クリエーターといわれる方たちの苦労が少しばかり理解できたようです。早々に工場作業にもどらねば・・・・。

一木工家がホームページを運営するということについて考えてみたい。
実をいうと4年ほど前東京の仲間たちと共同で「工房家具」のサイトを立ち上げていたことがある。有志のボランティアにお世話になりこちらはただ素材を準備するだけといった、かなり他律的なものであり、また当時はPCもインターネットの普及もすすんでおらず、当然にもアクセス数も少なく1年程でダウンしてしまったといった苦々しい過去がある。
ところがどうだろう。昨今のインターネットを巡る状況は。隔世の感があるといえば言い過ぎか。先日の展示会でのマスコミの取材でも「ホームページのアドレスを教えて欲しい」旨の要望があったり、新しい顧客からも要望されることもしばしばだ。WebSiteを持っていないとまさに時代に取り残される恐怖感さえ湧いてくるではないか。「デジタルデバイト」は明らかに私たちの周囲を脅かしつつあることも事実だ。
ボクとしては時代に取り残されようが、仲間はずれにされようが、それ自体あまり本質的な事柄とも思えず、本当はどちらでもよいのだ。そんなものに首をつっこむことにより奪われる時間を創作活動に注ぐ方がより生産的だと思う。しかしただある理由があり、グラフィックソフトには全く縁がなかった状況から無謀にもサイトを持つことを決意した。まだその本当の動機はここでは明らかにできないが(公にできないということではなく、まだ現時点では状況が煮詰まっていないということからなのだが)、言えることは現在の時代情況下で、ボクのように工房を構え様々な展開をしている木工家が全国各地にいるのだが、共通の悩みとして作り手と使い手のパイプが細く、有効な出会いの場が圧倒的に少ないということだ。展示会、デパートでの催事、そして数少ないが小売店舗での販売、またメディアからの紹介等いくつかのチャンネルがあるが、実はいずれもボクとしては十分納得のいく環境とは考えていない。
知人の木工家で「ボクは町の木工所として食べていければいい・・・。」という殊勝な、いやあまりにも真っ当な意思表明に何ら反論する材料を持たなかったのだが、良質な、誠実な、品質の高い仕事をしようとするとやはりマーケットを広く求めざるを得ないのも事実だ。このインターネットはまさにこうした環境を作り上げる絶好のツールであることは間違いないようだ。さらにまたインタラクティブなコミュニケーションのツールという特徴があることは重要な要素だ。
ただやはりネット上にサイトをおきましたよ・・・だけでは、上述した過去の苦い経験の二の舞を演ずるだけだろう。多くの人に訪問してもらえる内容豊かなコンテンツ、快適なページ設計、そしてマメな更新、メンテナンスが必須な課題だろう。
そして何よりも・・・情況が煮詰まってない・・・点に関わることだが、私たちの生き方、暮らし方をはじめ社会のありかたが少しづつだが転換点にさしかかってきていることは疑いのないことのようで、ボクのような仕事に限定してみても、木工家具への関心は若い人へも広く浸透しつつあるようだ。このことは私たちの生活の中にある様々なモノの価値への再評価、まだオルタナティブなニュアンスを持ちつつも暮らし方への検証がはじまりつつあることも間違いないようだ。流通のあり方にとどまらず、それを通して私たちの生活のあり方を、私たち自身の側へ取り戻せたらすばらしいのだが、などど夢想しつつ、このインターネットというツールがこうした環境を構築するうえで、いまや欠かせぬものになってきているのではという莫たる予感がするのだ。
さてIT、ITと騒がれて実は国内IT産業は、世界的大不況の波に翻弄され、一時の勢いは影を潜め生き残りに大童といったところだ。ボクの愛機はMAC PowerBook G4なのだが、もちろん日本で購入したのだけれど、売上金はというとAPPLE日本代理店→APPLE社→CPUメーカー→台湾かマレーシアあたりのメーカーへと流れていき日本にはいくらのこるのだろう?。国内PCメーカーにしてもOSはWindowsのマイクロソフト、CPUはインテルへと流れていくだけ。昨今、国内PCメーカーは軒並み国際的生産シェアを狭めているようだし、コストカットで利益率は下がり続け、企業リストラの最前線はこうしたIT産業にこそ吹き荒れているという皮肉な現象だ。IT社会の構築ということは、まさにこうした一端にあらわれているように、既存の社会基盤さえ大きく変貌させ、不可視の未来への不安をかきたてるという一面を持っていることは否定できない。謳歌するのは米国産業界のみ。一将功成り万骨枯る・・・。ハードもソフトもたちまち陳腐化されるPC環境にまともにつきあってなどいられない。一部でこれはアングロサクソンの陰謀だ!というのもあながち間違いではないのではとさえかんぐってしまうのだ。
ボクにとりこうしたいわばアンビバレンスな感情が整理されないまま、サイトを立ち上げ、思いを共有する仲間との出会いを求め考えていきたいと思っている。