仕事のあいまに書きつづったEssayです
木工に関わりのあること、自分の記憶にとどめておきたいこと、などを書き留めていきます
 C O N T E N T S                
・Dec.12.2003 新蕎麦と芸術の秋  
Nov.20.2003 職人はバカ ?
・Nov. 8.2003 氾濫する情報の海を漂流しながら・・・
・Aug.24.2003 詩人と魂        
・Jun.12.2003 I T環境の脆弱性について    
・May. 4.2003 晴耕雨読と木工家   
・Mar.15.2003 「静寂の美」ルーシー・リー展 
・Mar. 6.2003 阪急梅田本店への出展
・Feb.26.2003 家具産地での工房経営と、やせ我慢
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1年間お世話になりました(Web開設1年めのごあいさつ)
木工家と Worldcup Korea Japan 日本代表チームの狭間

「永遠の一日」テオ・アンゲロプロスの映像美

苦悩にゆがんだジタンの顔が意味するもの、
日本代表のベスト16/2002 FIFA Worldcup Korea Japan
「洗剤と石けん」
「ブラックウォールナット」の魅力
「天声人語」の語る「座力」とは
ホームページ開設について

1木工家がホームページを運営するということについて

 新蕎麦と芸術の秋
Dec.12.2003

蕎麦の話をしよう
既に皆さんは新蕎麦を食したであろうか。蕎麦は何と言っても香りなので、新しいに越したことはない。PCに向かっているヒマがあったら蕎麦屋に走ろう。

ボクは皆さんには申し訳ないが、ご近所に良い蕎麦屋があり懇意にさせてもらっていて、さっそく頂いてきました。
「薮蕎麦 宮本」と称する有名店だ。
数年前「太陽」という雑誌に一年間連載された「蕎麦読本」にイの一番に紹介された蕎麦屋だ。蕎麦ッ喰いには良く知られた店で、蕎麦グルメランキングには常に上位に位置する。
立地環境は決して良いとはいえず、首都圏からは遠く離れ、県内でも田舎に分類されるようなところだ。田舎とは言っても風情を感じさせるそれではなく、どこにでもある地方の裏寂れた景観のそれだ。
しかし敷地に一歩踏み入れると供される蕎麦を期待させるに十分な数寄屋風の古民家の佇まいだ。この辺りで島田大工といわれる凄腕の棟梁に為るものだ。
ほの暗い店内は全て座敷で、ひとりまず天だねをつまみ酒杯を傾ければ浮き世の喧噪から離れ、ただ蕎麦食いの快楽に身を沈めることができる。

客単価は決して安くはないので、近隣の住人はあまりのれんをくぐらない。駐車場のナンバープレートを見れば首都圏をはじめ、県外の高級車がほとんどだ。

この店との交流はこの地に工房を構えて間もない頃からだ。
蕎麦を食べに行った折、調度品のほとんどが松本民芸家具であることに興味を示し、店主と話したのがはじまりだ。修行時代、この木工会社にお世話になったことがあり、そのせいかつい気安く話しかけてしまったという経緯。
その後調度品の修理を依頼されたり、蕎麦道具を制作したり、また客人が来られたときにはここへとお誘いしたりといった関係が作られた。

またここで使われている食器には陶芸家「小川幸彦」氏のものが多いのだが、個人的にもボクはこの陶芸家にはひとかたならぬ薫陶を受けたという共通の関係もあった。
いずれこの陶芸家に関しても触れねばならないと考えているが、今回は傑出した陶芸家だった、ということだけを指摘するに止めておく。(残念ながら若くして鬼籍に入ってしまった)

蕎麦は「池之端 薮」ののれん分けの店だけあって、逸品だ。(宮本さんは「池之端 薮」の味を受け継いでいるということではなく、自身が苦労して作り上げてきたと仰る・・・)
食は何よりも素材の力に依存する。ここでは宮本さんが国内数軒の農家と直接契約して常に状態の良い蕎麦を入手している。

これを早朝からその日の天候に合わせ微妙に調整しながら自家製粉の作業に入る。
石臼を用い、最高の状態の蕎麦粉を作り上げる。
そして蕎麦粉十割で打つ。使う水も地方からわざわざ取り寄せ吟味している。
まさに工程のひとつひとつが職人技なのだ。

ここ数年メディアに取り上げられることも多いようだが、決して十分に評価されているとは思えないようで、話す機会があるとよく「なかなかお互い評価されにくい仕事だけど、がんばろうや」というのが口癖だ。

先頃まな板の依頼を受け、作ってさしあげた。工房ではあふれんばかりの材木を貯木しているが、この時はやはり材料の入手に奔走することになってしまった。まな板材など用意していないからだ。
一般にプロの料理職人のまな板には「檜」「バッコウ柳」「イチョウ」など好みが別れるようだが、まず「バッコウ柳」の情報があったものの、やや大きすぎて、どうしたものか、と思案していると、本命の「檜」の情報が入り、さっそく送らせ、刻んだ。柾目で1尺を越える幅があり良材だった。厚さ3寸、長さ3尺。十分な大きさだ。

檜の仕事はめったにないが、この材の削り作業は快適このうえない。その香華。研ぎ込まれた鉋での削り作業でみごとに光り輝く。

当然、(エヘン!)宮本さんには大いに感謝される。
まだ手間賃いただいていないので、近々これを口実に蕎麦をすすりに行こう。

閑話休題。
さて 芸術の秋、ということで、各地の美術館では興味深い企画展示を開催している。可能な限りカテゴリーを問わず多くの美術品を鑑賞するように心がけているが、なかなか地方に住んでいるとこれも簡単にはいかない。
今年印象に残っている展覧会を挙げると・・・
・青木繁と近代日本のロマンティシズム
・フリーダ・カーロとその時代
・有本利夫 展
・「静寂の美」ルーシー・リー展
・「技の美」(日本伝統工芸展50年記念展)
・工芸の世紀
・現代の木工家具
 等々だが、いずれも東京都内の美術館でのものだ。

「フリーダ・カーロとその時代」は映画「フリーダ・カーロ」に合わせた企画でその相乗的効果もあり堪能できた。かつて画集など印刷物で見ただけでありその肉筆に触れるのは初めてだった。そのエキセントリックな印象、あるいは際物扱いされかねない題材とは別に、その画力には魅入られてしまった。
メキシコ壁画運動とともに語られるだけでなく、ひとりの優れた画家としての評価をもっと正当にされても良いのではないだろうか。

「工芸の世紀」は近代工芸の曙と、その深遠な世界を明快に見せてくれた。揺籃期の若々しい日本の工芸作品の粋を総覧できるまたとない良い企画であった。
それだけにまた現代の工芸が獲得すべきものは果たしていずこにあるのだろうか、逆にその困難さをより鮮明に写しだしているようでもあった。

有本利夫は将来を嘱望されながら38才で夭折した安井賞受賞画家であるが、その独自な様式美にはいつも魅入られてしまう。

さて都心再開発地区にオープンした森美術館は盛況のようだが、他方地方の美術館は軒並み苦闘しているようで(名古屋ボストン美術館はいずれいかねば、と考えていたが何やら閉館?なのですか)、百貨店系美術館の多くが閉鎖して久しいことも合わせ考えると、美術館経営も冬の時代を迎えているということだろう。

薮蕎麦 宮本
静岡県島田市船木253-7
Tel:0547-38-2533
営業11:30〜17:30(月曜休)
メニューは決して多くないが、
天せいろ蕎麦がお奨め
蕎麦がきは要予約
「太陽」 蕎麦読本より  田舎蕎麦
 職人はバカ ?
Nov. 20.2003

デザイナーと職人の社会的制度

同じ木工家具を作るにしても、デザイナーが企画設計し、この指示を受けて職人が制作するケース、あるいは木工職人が自らデザイン企画して制作にもあたるというケース、またそれらの間の責任分担範囲が混然としているもの、と様々なケースがある。

一般に量産メーカーなどの生産システムは明らかに先のケースがほとんどだ。専属のデザイナーを抱えたり、フリーランスのデザイナーと契約してデザインしてもらうことも多いだろう。
一方独立経営の木工職人は、デザイナーの依頼で試作したり、あるロット数の制作をしたりすることで、生業とする。
また同じ木工職人でも、求めに応じて自身がデザインして制作販売することもあるだろう。

ここで取り上げるのは、こうしたデザイナーと職人の関係性についてだ。
ボクの場合、量産家具産地に立地するということから、独立自営を始めた頃はデザイナーの依頼を受けて試作するという貴重な経験をさせていただく機会を得たことがある。

静岡にはフリーランスのデザイナーが40人ほどいるといわれる。出自はさまざまであろうが、一般に美術系の大学を経て、デザイン事務所で研鑽を積み、独立するというケースが多いと考えられる。静岡という家具産地のデザイナーだけあって木という素材への理解と、家具という構造物への認識も高いということは了解できるであろう。

しかし同じ家具作りへのアプローチでもデザイナーのそれと、木工家のそれとではかなり違いがあるということに気づかされることも多い。

一般にデザイナーはクライアントからの要請を受け、制作目的とする家具の造形的美の価値基準からアプローチしていくのはいうまでもない。
ここではもちろんその素材が木であるということにも一定配慮はされるだろう。
しかしデザイナーがその素材である木への配慮をするとはいっても、工業生産物のマテリアルのひとつとして、他の鉄、非鉄金属、あるいはプラスティック素材などと並列化されたなかでの素材であるにしか過ぎないという水準であろう。

しかし木工家は木工という限定されたカテゴリーのなかで、ある固有の素材(木材)に規定された構造的特性を念頭に置いた造形的可能性を追求するという性向があることは自明だ。

従ってデザイナーの要求に見事に答えてやることもできれば、逆にそんなことは木工ではすべきではないと頑として譲らないといったこともあるだろう。
もちろん、この両者が有機的なイコールパートナーとしての関係性が構築できていれば、それぞれの領域における責任を果たし、望みうる以上の結果を生み出すことも可能だ。またそうありたいものだ。

しかし残念ながら現実はそのようにスムースに事は運ばない。

概してデザイナーと、職人とではイコールパートナーで結び合うというよりも、ある種のヒエラルキーで支配、被支配されるということになるから事は面倒になる。

以前スェーデンの木工家と、家具デザイナー二人の講演会が地元で開催され参加させていただいたことがあるが、そこでのひとこま。
質疑応答のコーナーがあり、参加者のほとんどがデザイナーだったこともあって、他に見あたらなかった職人としてのボクに指名があった。
「北欧では歴史的にも、現在も名作家具を数多く生み出しているが、ここにはデザイナーと家具職人のパートナーシップが有機的に結びついていると考えられる。翻って日本ではなかなか両者の蜜月は永く続かない。これをどのように考えるか?」とっさの指名だったので、こんな質問を発してしまった。

これに対する回答は意外なものだった。曰く「スエーデンでもデザイナーは職人をバカだと思ってる・・・」
これには会場一同苦笑い。
この木工家の回答は親日家ということで、達者な日本語でのものだ。決して通訳の意訳などではない。

やっぱり、というよりもエェッ、どうして・・・、という感であった。
イコールパートナーなどというのは望むべくもない幻想。ということなのであろうか。

しかし例えそうだとしても、やはり、スエーデン、デンマークなどにおけるデザイナーと職人の関係性と、日本のそれとでは大きな彼我の違いがあるだろうと考えられる。

これは家具生産を含め、18c以来の工業的生産システムの勃興と発展の歴史的背景が大きく異なり、また日本における近代化の特異な跛行的なところが主たる要因なのでは、というのは私見だ。

      *         *         *

欧州のマイスター制度

ところで欧州にはマイスターという制度が歴史的に社会の中で堅固に息づいていることはよく知られたことだ。
様々な工芸、建築の世界でマイスター制度というものがあり、これは社会的にも広く認められた尊敬を集める職能だ。
日本では残念ながらこうした制度はない。昔Oak○○という木工集団が、工芸大学を立ち上げ、ここの指導教官を「マイスター○○」などと称していたことを思い出すが、これはあくまでも社会的に認定されたそれではなく、学内での呼称にすぎなかったであろう。
やはり日本では「職人」とい呼称が一般的だ。以前永六輔氏の著書「職人」(岩波新書)が大いに売れたことがあったが、これは職人へのある種の憧憬と、過去の遺物的存在への懐古であろうか。
ボクの親方に当たる人はアルコールが入ると「昔(東京オリンピックの頃だろう)は職人は街の中を肩で風切って歩いたものだ」などと聞かされた。そんな時代もあったのだろう。

でもやはり欧州の職人、マイスターと日本の職人とは大きな彼我の差があることは残念ながら明白だ。

日本の職人は技能に優れていれば一応社会的も認められるだろうし、それで十分自己充足することもできるだろう。しかしマイスター制度におけるそれは、単に技能のみが優れているのではなく、弟子をしっかり教育できる能力、経理などを含めた起業経営の知識、デザイン的素養、等々、まさにゼネラルマネージャーとしてのそれでなければならないということだ。ここに絶対的ともいって良い違いが存する。従ってその結果社会的な評価の違いが生まれてくるのも必然といえようか。

まぁボクなどはバカな職人の端っこでウダウダしているものの一人に過ぎないが、ものづくりに責任もって携わる以上、使い手に恥をかかせない、むしろ誇らしく受け取ってもらい、愛情もって使われるようなデザインと、高品質な木工品を提供せねばと考えている。
デザイナーという職域はまさに近代的大衆消費社会のものであるわけで、ものづくりの世界にアプリオリにあったわけではないのだ。従って木工家としては勇気と誇りを持ってもの作りの一翼を担っていかねばならないと考えている。

      *         *         *

木工へのアプローチの違い

ボクが木工のデザイン造形をする場合、まず必要とする構造、機能を優先させそれを満たしながら、加工対象とする素材、木の固有の表情、クセを最大限考慮し、最適と考えられる構成、デザインを考えていくというプロセスが一般的だ。

つまり全体的なプロポーションを描きながらも、そこではあくまでも木という素材ならではの固有の表情が持つ力を借りながら、これが生かされるような木取り(対象とする部材に、材木のどの部分を選択するかというプロセス)を最優先させる。ここでは全体的な表情とともに、個々のパーツでも、木目の表情、繊維の方向が、構造的堅牢度に合目的になっているか、あるいはよりデザイン的に優れた配置であるか、などと常にある種神経質なまでに考え抜く。何故ならばこの木取りのプロセスでその作品のクォリティーが決定づけられるといっても決して過言ではないからだ。
したがって素材の制約から、デザインそのものを変更するということなどは日常茶飯だ。

一方デザイナーは上述したように、いかにトレンドに合ったデザインで、いかに生産性を上げ、クライアント企業に利潤をもたらすか、という配慮が優先されるという制約下にある。したがってあくまでも木という素材は工業的マテリアルのひとつとしてのそれであり、木が持つ表情などという非近代的、非合理主義的要素はほとんど排除されねばならない。

また残念なことだが、ボクの数少ない経験からわかったこととして、家具デザイナーとはいっても木工の基本的な仕口をほとんど理解していないものがいるのも事実だ。
その結果、木の特性を無視した無茶な構造で構成されることにもなる。
制作の方法をめぐる打ち合わせの中で、こちらが異論を挟むと「職人はただだまってこちらが言うことだけ聞き、その通りにやりさえすればいい」などと激昂する人もいたが、これは論外としても、概して職人が深く内容に関与してくることを嫌うデザイナーがいることも事実その通りだろう。
あるいは木工家の社会的あり方そのものへルサンチマンをつのらせるかのように、「木工家などという非社会的存在?は認めがたい・・・」などと慨嘆するする人も見かける。

同じ木工家具を志向しながらも、こうした双方のあり方はいかにも不幸な関係ではないか。
既に述べてきたように、ここにはいくつかの故無しとはしない問題を孕んでいる。
デザイナーからすれば、「木のぬくもり」「手仕事」などというアプローチで、デザイン性のかけらも見られない審美眼を疑うような稚拙な木工家具が社会に排出されていることへの非難も決して理由のないことではない。生産性も省みない、ひとりよがりの「木工家」というイメージからは脱却されねばならないだろう。

また木工職人からすれば、木工の仕口もまともに理解しないデザイナーなどから指示されたくない、という思いも半分は正しい。「半分」というのは、仕口などの木工特有の考え方をデザイナーがアプリオリに知悉していることは望ましいこととはいえ、必須条件ではないからだ。この領域の問題は職人とのディスカッションのなかで解決されれば良いだろうし、むしろ後述するように木工職人には発想できない、デザイナーならではの創造性をこそ酌み取らねばならないだろう。
重要なことは仕口の方法を会得していることが必要条件の一つとすれば、何故その家具に他の何ものでもない木を素材とするのかという必然性こそ必須の要件なのではなかろうか。

ボクは木工の基礎的技能を職業訓練校で学んだ者だが、最近では美術系の大学などでデザインの素養を身につけ一端企業にデザイナーとして就職しながらも、自分で木工技能を修得すべく訓練校の門を叩く若者も少なくないようだ。これは木工技能の修得が残念ながら美大などのカリキュラムには十分にカバーしきれていないことによるものだ。
しかしこうした若者の志向はとても良いことであろう。

逆に木工職人がデザイン学を求めてアカデミックな機関の門を叩くことがもっと許容されるようにもなるべきだろう。

いきなり欧州のようなマイスター制度が日本に根付くとも思えないが、職人の意識改革を進める中から、デザイナーと共によりよい社会的尊厳を集めることは決して夢想ではないだろう。

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より良い関係を求めて

日本では人物への社会的評価というものが、実力よりも最終学歴とか、出自(日本社会に蔓延する「二世○○」の跋扈なども昨今の鼻白む思いの一つだが)とかに基準を置かれる傾向がある。それも決して絶対的に間違った基準ではないにしても、もっとニュートラルにその人の実績なり、客観的評価での力を見てもらいたいものだ。
幸いにして日本では欧米に較べ家具デザインの歴史は浅く、デザイナーと職人の関係も決して堅固なものとして見ることもないだろう。お互いの能力を評価しあい、補い合う関係性を切磋琢磨する中から築き上げていくべきだろう。

職人は木のスペシャリストであり、クライアント、デザイナーからのあらゆる要請に見事に応える資質、つまりは求める形状に最もふさわしく美しい板を選択し、最もふさわしい仕口で、堅牢に作り上げる能力を有しなければならない。時にはデザイナーに対しても、自らの責任において的確なアドバイスも必要となろう。
一方デザイナーは、構想力豊かに、クライアントの要請に最もふさわしいデザインを創作し、これを制作するための合目的的な構造を考え抜かねばならない。木工職人のアドバイスにも謙虚に耳を傾け、共通の目的を達成させるためのパートナーシップを積極的に築きあげるべく努力すべきだろう

また伝統的木工技能の蓄積を、量産システムのなかにおいても、古くさくめんどうくさいものとして排除されるのではなく、優れた木工家具の開発においてこそ、こうした先人が積み上げてきた技術的財産を有効に生かしたいものだ。

木工職人とデザイナーの関係性がより有機的なものに醸成されていくならば、日本の木工家具のクォリティーはより高くなり、世界に誇るべきものも多く生み出せるだろう。互いの資質の高度化と、木工家具製作への限りない夢を共有することでこのことは果たせるのではないだろうか。


 氾濫する情報の海を漂流しながら・・・
Nov. 8.2003

秋という季節は木工を生業とするものとして、とてもありがたい時季だ。
大気は乾燥しているので、加工途上の材料の管理が楽であるし、また組み立て工程もスムースに事が運ぶ。これが湿度の高い時季だと、反り、暴れを常に考慮せざるを得ず、湿度計を横目で見ながら恐る恐る工程を組まねばならない。

もちろん作業する肉体にとっても快適このうえない。ものづくりに携わる喜びというものを身体が素直に謳歌していることがわかる。

現在はいくつかの受注仕事を進めつつ、来春控えている個展の準備に忙しい日々だが、忙しくしているもうひとつの要因に仕事に関わる情報の処理に意外と多くの時間を割いていることを自覚させられることが多くなってきたようだ。

昔はもっと牧歌的と言おうか、ゆとりを持って仕事に専念できる時間配分ができたように思う。

最近は定期購読している業界誌(インテリア、木工関連雑誌)も拾い読みした程度で、棚に平積みということが多い。
また「お気に入り」登録の興味あるWebサイトも多く、これらのチェックに遅くまでかかることもあるし、このところ My Site の更新もおろそかになっているとはいえ、情報発信にとられる時間は、サイト管理されていない人には想像できない多くの時間を割いているものだ。

相互[Link]している Ikuru君というストックフォルム在住の若い学生がいるが、決して楽ではないだろう学業に勤しみながらも複数のWebサイト管理、さらにはメルマガも旺盛に発信し、日本のデザインポータルサイトJDN(ジャパン・デザイン・ネット)への投稿、頻繁に書き込まれるBBSへのまめな応対、適切なアドバイス。いったいいくつの身体、頭脳を使い分けているのだろうかと口あんぐりだ。

当然周りには学業への影響を心配し、もっと学業に専念するべく叱責する人もいるようだが、以外と学校当局としては好意的のようで、Web発信への配慮もあるようだ。(IT先進国北欧ならではの特異性か)

創刊時から定期購読しているインテリアマガジン「C○○○○○○」という雑誌がある。発刊後10年近くは季刊だったが、その後数年間は隔月刊になり、昨年からはこれが月刊化した。類書の中でも多くの読者を持ち、販売戦略、営業戦略としての進化なのであろう。
しかし正直いってこうした「進化」は果たして編集者、読者にとって幸せなことなのであろうか。以前の季刊であった頃は編集内容も充実しており、隅から隅までしっかり読み込むことも出来た。しかし現在は届いた日に拾い読みして、後からじっくり読み込もうと思っていると翌日には新しい次の号が届くという有様だ。

さすがに編集者も疲労困憊のようで、こうしたボクの感想にも半ば同意していたが、まだお若いのに数年して次の編集者にバトンを渡したようだ。もちろん雑誌などというものも、資本の論理で、次から次へと新しい情報を取り上げ、そして消費していくものであろうから、当然の帰結ということになるのかもしれない。

携帯電話にしても、Webにしてもあらゆるジャンルの情報が星のごとく降り注いでくる時代だし、出版不況といわれながらも書店に行けば小難しそうな本は片づけられ、カテゴリーごとに特化した(たこつぼ化)いったいどんな人が読むのだろうかと訝しく思うような雑誌ばかりが氾濫してまさに情報の宝庫のようではある。
しかしこのような情報過多の状況下にあっても、果たしてその人の人生にとって真に必要とする情報はどれだけあるのだろうか。あるいはまた情報の洪水の中で、真に必要な情報を見つけだすことはいよいよ困難になっているのではないのだろうか。

とりあえずはこうした環境下で必要な情報を的確に入手して、然るべく処理する能力を磨き上げておくことを怠らないようにせねばならないことだけは確かなようだ。

しかしこの歳になって何だが、出来うるならばジャンク情報に振り回されていることよりも、一切の入力を断ち切って、ほこりをかぶった東西の古典を読みふける方が、真理探究には近道だろう。
残念ながら俗物のいやらしさで、くだらないジャンク情報に踊らされる魅力に抗しがたいのが現実というものだ。

せめてこの歳になってみると、日々の仕事の代償としての家具づくりは消費されるそれではなく、使い手に永く留め置かれるものにしたいという願望だけは失わないようにしたいと思う。

オャ、ピンポーンとなった玄関先にいくと、またまた「C○○○○○○」が届きました。あぁ。

 詩人と魂
Aug.24.2003

7月初旬 東京武蔵野のある詩人宅へ大きなブラックウォールナットのテーブルを納品させて頂いた。
この邸宅へは3月に別のテーブルを納品させていただいた時に次いで2度目の納品だ。
東京郊外とはいえ、私鉄駅から歩いて5分のアクセスの閑静な高級住宅街に位置する。以前は近隣に住んでいたようなのだが、そこが再開発で立ち退き対象になり、新しい住居を求め、構えたという経緯だ。

当工房へのアクセスのきっかけはこのWebサイトへの訪問からだったようで、目的の材種と、デザインを検索サイトから探し当て、その日の夕刻には200数十キロを走らせて工房までやってきたのだった。

まさか初めての電話連絡で、遠方からその日のうちに来訪されるということもびっくりだが、かなり特殊な部類に属し決して安価でもないクラロウォールナットの一枚板のテーブルを倉庫の隅から引っ張り出してご覧に入れたところ、いたく気に入ってそのまま即決していただいたことはありがたくも驚きであった。

納品は数ヶ月後に予定されている住宅の竣工の後でということだったが、数日後にはさっそく入金してきた。この行動力、決断の早さ、これまた驚きだった。

さて納品の1度目はまだ住宅内部の仕上げが終了されていなくて、多くの職人が忙しく立ち働いている中でのやや強引な搬入ということもあり、あわただしく帰路に就いたのだったが、2度目の今回は昼食を挟んでゆっくりともてなしていただいてしまった。
この豪邸、部屋数の多さもさることながら、一部屋単位の広さがいずれもゆったりとしたスペースが確保されていて、チークのフローリング、大理石のフローリングなど部屋ごとに異なるインテリアで構成されている。
主人の趣味の良さを写す絵画、置物(ある陶芸作家のものが中心)などがギャラリーさながらに展示されていたりする。

そうして・・・ここで紹介するものはこの主人の音楽再生へのこだわり、つまりはオーディオ装置へのこだわりへの少なからぬ驚きだ。
以前どのような住まいで暮らしていたのかわからないが、この住宅も音楽再生のために設計されたのではと思わせるほどのものだった。
素人のボクにはこれらの再生装置(これらの・・・というのは各部屋に、という複数を意味する)の詳細データを解説できものを持ち合わせていないのが残念だが、いずれも超をつけねばならない最高度のものなのだろうということは想像に難くない代物なのだ。
恥ずかしながらボクは [ JBL 4312 MK2 ] を古くて狭い部屋で鳴らしているのだが、これまで最大に音量ボリュームを上げるとはいっても、恐らくはこのスピーカーの耐入力の1/3位だろうか。
しかしこの時は武蔵野郊外に位置するとはいっても、隣接する住宅に迷惑ではないかと心配するほどの大きな音量で試聴させてくれた。これはまさに演奏者が目の前で力演している姿がすっくと立ち現れるという感動的な体験だった。
スピーカーは背丈ほどもありそうな大きなタンノイであったが、ドライブ感のあるすばらしい音質だ。
隣近所をはばかって小さな音量で聞いていては感じとることのできない音質だった。
ここで音量の大きさというのは決して量のみの変化だけにとどまらず、まさに質的変化をもたらすという、当たり前であるかもしれないが新鮮な驚きであった。

今、Apple社は新しいコンピューター(Mac G5)をリリースしていて話題を呼んでいるが、一方市場で爆発的に人気なのが iPod だ。これはたばこの箱くらいの大きさのケースにハードディスクを入れた MP3 再生プレーヤーだ。 10GB,15GB,30GB の3 タイプがあり、30GB のものだと7.500曲もの曲が保存、再生できるという優れものだ。
実に手軽にユーザーのお気に入り音楽の全てををコンパクトなiPodに収め、楽しめるというデジタル社会のある種象徴的なものであるだろう。
しかし一方の本質追究を凝らした音楽再生システムで、演奏会場さながらに楽しむ、という音楽再生における2極分化のあり方そのものも、またIT社会の特質であるのかもしれない。

真理を探究しようと志し、深く精神世界を掘り下げる詩人には iPod は似合わないだろう。より真実に近い音源を求めてあくなく探求する姿こそこの詩人には似合っている。
(大きなテーブルを2台も買い上げてくれた工房 悠としては、購入動機の高潔さをこそしかと受け止めねばなりません)

この詩人は専門誌の編集同人を努めながら詩作をしていて、多くの詩集をものにしている。このなかの数冊を贈呈され、読ませてもらったが、官能的でロマンティシズムにあふれた純粋な世界を歌い上げたものが主流のようだった。
2度目の納品の前日には都内で音楽、都市、文化などをテーマとした座談会を主催し、その司会を務められ、疲労の色が顔にでてもいたが、いつもエネルギッシュで、話していても本質をそらさない直球をずばり投げ込んでくるような気持ちの良い人だ。

また稿を改めて書く機会もあると思うが、ある著名な陶芸家とのつきあいでも同様な経験を得ることがあった。芸術家の魂のあり方も様々であるけれど、ある種の共通な感性、エートスというものがあることは間違いがないことであるようだ。

この夏、この詩人夫妻は海に構えた別荘で暮らすようで、是非にと誘われたが、忙しくしてないと落ち着かない職人のボクとしては残念ながら応ずることができなかったのは、よく考えればやはり間違いだったのかも知れない。

樹木

時が黙々と
人々の生をを消去してゆく

眩しい日差しは
そのことを誰にも告げず
さらなる生を繁殖しつづける

巨大な樹木だけが
永遠へと解き放たれたたましいを
いまも頭上に高く微がせている

小川英晴 詩集「クラシカルな回想」(1993)より

 I T環境の脆弱性について
Jun.12.2003


過日メインのコンピューターを破損させてしまった。このWeb構築をはじめとし、あらゆる事務作業、情報収集の中心に位置していたツールが破損するということは実に手痛い事態。
確かに形あるものいつかは壊れ、失ってしまうことは世の習い、とは分かっていたものの、失うものの大きさにあらためて I T 環境への依存の強さを思い知らされた。

さてPCが破損してしまったので、これを修理、更新するたに必要な期間の最低限の回避措置としてのメール送受信を、携帯電話で行うべく設定したまではよかったが、携帯でのキータッチのわずらわしさ(若い人たちが親指一本でタイピングしているのを見ると、ただただ関心してしまう)に、とてもこれでは対応できるわけがないと気づき、あわててその間の経過措置としてノートブック型のパソコンを購入することにした。
ボクのPC環境はApple社のMacだが、このOSのバージョンが現在全く新たなものに移行しており、これまで旧いタイプでしのいできたボクとしてはこの環境には期待も大きいのだが、まだどちらかというととまどいのほうが先に立つ。まだとてもスムースな使用環境になったとはいえない。

既に件の破損したPowerBookG4を購入した時点でこの新しいOSは公開されてはいたが、旧 OS 環境での作業は十分に快適であったし、また主要なソフトのそのほとんどが新 OSに対応していないということもあり、この新しいOSを使ってみる必然性はなく、その後関連雑誌、Apple社の広報が新OSへの移行促進のキャンペーンを張っているのを横目で見ながらも、何ら更新の必要性を感じさせなかった(それだけこれまでのOSの完成度が高かったといういことがいえるのだろう)。
しかしこのたびの破損はこうした守旧派のかたくなな考えを壊滅的にしてしまった。新規購入したMacのプリインストールされている起動OSは新しいもので、これでしか起動できないということだ。いずれはこうした時期が来ることから逃げることはできないことは分かってはいたが、このように予測もしない緊急事態下で起きたということにあわてふためいているところだ。

しかしやっとのことで、必要なソフトを入れ直し、また蓄積してきたデータを保存し直すことができた。これらは決してボクにとっては楽なことではなかった。まず対応するソフトのほとんどがバージョンアップを必要としていて、これらのほとんどは新規購入せざるを得ず、PC本体価格より高い買い物になってしまった。
データの移行にしても、新旧の OS をまたぐことになり、とてもスムースにいったとはいえない。

しかしWindowsの皆さん。新しいMacはすばらしいですよ。Swichしましょう。
それまでのMacの特徴としてのOSのシステム構造のわかりやすさ、ユーザービリティーの良さに加え、UNIXベースの安定性の良さ、Aquaと称する美しく流麗なインターフェイス、そしてもちろんデザインの良さ。
Windows環境とのファイル共有もバッチリ。
一度店頭でMacにさわってみましょう。
前段の批判的なものと180°違うじゃないかって ?!
Apple社には愛憎半ば、ということでわかってください。

そんなこんなで、Webの更新、運営管理もしっかりとできる環境を構築したので、ご覧の皆さまもどしどしアクセスしてきてください。

 晴耕雨読と木工家
May.4.2003

今月(5月)初旬ブラックウォールナットを購入し、さっそく製材する。2.6m52cm,2.4m50cmという程々の大きさのもの2本。
シンプルに製材したので、所要時間は1時間で終了。この製材所は従業員も多く、テキパキと仕事をしているので、とてもはかどる。
以前は工房から5分ほどのところに製材所があり、ここでやってもらっていたが、昨年末をもって廃業してしまった。ここでも木材業不振の現況が示されている。
さて製材後は、友人も駆けつけ、材木屋の社長とともに夕食を兼ねた懇親会。材木にまつわる近況、個々の仕事の情報交換などで、暫し歓談。その後ロクロを趣味とする材料を求めに来た若い客も加わり、深夜遅くまで歓談が続く。
趣味とはいってもとてもきれいな仕事をされていて驚かされる。

翌日は朝から土場(材料の天然乾燥のためのところ)に材料を運び、桟積みだ。
この歳にもなるとこうした肉体労働は決して楽ではないが、良い仕事をするには自前での材料管理は欠かせない。この材料も加工に回すことが出来るのは2年後か3年後か、その頃にどのような仕事をするのか、ある程度の見通しを立てた上での製材の積もりだが、果たして予定通りいくのかどうか。
材木の製材、桟積みという作業としてはこの時季は決してほめられたものではない。来月には入梅が待っていて、乾燥の初期過程としては避けたい時季だからだ。今回は原木の情報が来て、手頃なもののようだったので、急遽スケジュールを調整し、製材へと一気に決めたもので、仕方がない。まぁこの時季ならギリギリといったところか。

この土場は農業地帯にあり、八十八夜という時期にもあたり新茶のつみ取りに農家総出での大童だ。
既に手摘みでの一番茶は終了し、今は機械でのつみ取りだ。お茶のうねの双方に夫婦2人が対面するように位置し、機械を操作しながらバリカンのように刈り取っていく。みるみるお茶のうねは5分刈りにされた男の子のようにさっぱりとなる。この状態からさらに新芽が伸び、数週間後には2番茶のつみ取りとなる。
数日前例年お願いしている茶農家から手摘みの新茶が届き早速頂いたが、いつにも増して美味だった。昨年はこの時期急激に初夏の気候になり、あまり良い出来ではなかったようだが今年は品質も良いようだ。

さて今回は家具に使用される材木の乾燥の問題について少し記す。

木工という生業は自然有機物の木というものを加工対象としている。
したがって木は必然的に周囲の環境に影響を受ける。
加工に使われる木は、生育している立木の状態のものを伐採し、製材し、そして十分に乾燥させるまでの間、桟積みという状態に置き、気乾含水率が12〜18%位になるまで待たねばならない。
伐採直後の木材は、含水率が30〜200%にも達する。これも時間の経過とともに乾燥していく。
乾燥材でないと、加工には適さない。まだ十分に乾燥されていない材料だと、この加工品の置かれた環境の湿度と材料の内部の湿度との大きなギャップが生じ、この環境の湿度に限りなく近づこうとする。つまり乾燥へのプロセスを歩むわけだ。すると加工の精度、手法にもよるが、多くの場合反ったり、割れたりしてくる。当然本来備わっていなければならない機能が損なわれたり、美的な品質低下に陥ってしまう。
また良く乾燥された材はその性質も変化し、物理的強度がはるかに増す。さらには接着性、塗装性も良くなる。
適切な含水率の状態に乾燥させた材料を使用しなければならないのはこうした理由によるものだ。

>>  近く[Woodwork Essential]に木材の乾燥について新たにupする予定なので、詳細はこれを参考にしていただきたい.

写真は製材一日後の含水率>>86.4%を示す

乾燥材の管理の状態はもちろん、木工家具の製造過程でもこの乾燥状態を維持することに配慮されなければならない。いかに最適な乾燥にまで持っていけたとしても、環境に晒されるとその環境の湿度、温度などに影響を受け、常に変化しようとする。

以前まだ修行が始まって間もない頃に、冬場比較的大きな板材を壁に立てかけていたところ、親方に怒られたものだ。どういうことかというと、ストーブの暖気に一方だけ晒されていると、当然その方向の板面が痩せようとし、反ってしまうからだ。
こうした人為的な暖房からの影響にとどまらず、日本のような湿潤な気候では気の休まることがない。木取りを終えた材料の管理はできるだけ環境に晒さないように布団で覆ったりする。

またこれは良くあることだが、米国からの輸入材などは含水率が10%前後のものがほとんどなのだが、これを繊維方向、にカットする場合ノコを挟み込むような反張を起こしたりする。ひどいときにはクロスカット、繊維方向を横断するようにカットするときにも起きたりする。こうした作業はとても危険なものになる。

さてこれから梅雨に入ってくるが、木工家を殺すには刃物は入らぬ。三日も雨が降ればよい・・・などと嘯くことになる。
これも米国材(乾燥材として輸入されてきているもの)を加工した時だったが、ある梅雨の時季、木取った材料に布団を被せて置いたのだが、翌日チェックすると、材料の中央部と木口に明らかな寸法の違いが生じているではないか。0.3mmほどの変化だが、キャビネットなどの精度を要求される加工にはこれだけでも障害になる。つまり中央部は布団でしっかり保護されていたけれど、木口側はこれが甘かったのだろう。木口に湿潤な空気が触れ、ふくれてしまったのだ。

また雨の日などに組み立て作業はやらないことにしている。例えきれいにしっかりと組み上げたとしても、翌日天気が晴れると、なんと胴付き(接着面)がすいていることが良くある。これも雨でふくらんだ状態で組んでもいずれ乾燥すると、この部分が痩せ、接着面がすいてくるというわけだ。ことほどさように、乾燥状態というものはやっかいだ。一度しっかりと組上がれば多少の環境変化には耐えられるでしょうし、これに塗装を施せば万全だ。

話が飛び飛びで一貫しないが、さて晴耕雨読。
梅雨になるとどうなるか、もう理解していただけると思うが、この時季になると木は反り、暴れ、まるで言うことを聞いてくれなくなる。ボクの知人の指物をやる一人の木工家は湿度計を片手に仕事場に入るという。
ファインウッドワーカーを旨とするボクとしても、この時季は正直、出来うるならばふて寝していたいものだ。しかし残念ながら、貧乏ヒマなしの業のものとしては木をなだめすかし、極力環境からの影響を排除しつつ、またあまり影響を受けないような作品をつくるようにするなどと、対処することになる。
しかしもっと良い仕事をするためにもいっそのこと、この時季は工場を閉鎖し、海外に遊学にいくとか、図書館で学習するとか、あるいは日頃不真面目なWebの更新に時間をあてるなどと切り替えた方がよいのかも知れない。つまり年がら年中忙しく立ち働くよりも、メリハリを付け、より以上に仕事のグレードを高める方向で考えた方が良いということだ。

さて世間はゴールデンウィークということで、あちこちで渋滞中とのテレビのアナウンスがかしましい。
ボクはこうしたこととはいつも無縁。毎日が日曜?みたいなもので、常に木工がらみの日常だ。しかしこうしてWebの更新に励んでいるところは実は近くの図書館。人並みの連休ということになるかな?
下旬には横浜のデパートでの展示会もあり、ゆっくりもしていられないのが実状だ。

 含水率」について
 木材は成育中は水分を多く含んでいて(生材の含水率は40%〜130%)、伐採後次第に大気中に水分が蒸発し大気中の湿気とバランスするようになる。(この状態を平衡含水率といい、こうした材木を気乾材という)
  
含水率=木材中の水分(木材全体の重量−全乾重量)/全乾重量×100
・・・・含水率は木材の物理的性質に大きな影響を及ぼす。

 「静寂の美」ルーシー・リー展
Mar.15.2003

今日のそぼ降る雨はまだまだ冷たく、春の到来への足踏みを感じさせます。10日ほど前仕事の打ち合わせで上京した折に、映画と美術館を楽しんできました。

ニューオータニ美術館の「静寂の美」ルーシー・リー展です。イギリスの陶芸家の生誕100周年を記念し100点近い作品を集めた回顧展です。

ルーシー・リーの作品は京都国立近代美術館などで数点見たぐらいでしたので、このような規模の展示会はボクとしては初めてで、彼女の多様な作風を見る機会に恵まれ、すばらしい作品世界を通して彼女の陶芸家としての全体像に近づくことができとても感銘を受けました。

いずれの作品も決して古びた感覚ではなく、北欧のガラス作品に見られるようなとてもモダンなもので、日本の陶芸にはあまり見られない端正な美しさを見せていた。
写真にあるような乳白色の釉薬のものもタイトルにあるように「静寂の美」を感じさせるものだが、ひときわ目を引いたのはマンガンを釉薬にした渋い金属光沢の独特のテクスチャーを持つ器群でした(写真下)。しかしいずれもどれひとつとっても同じものはなく少しづつ変化しています。
88才で亡くなるまでの68年間の陶芸活動は、彼女にとっては到達することのないはるかな道のりの歩みだったのでしょう。

会場内の一角で生前のロクロ作業、掻き落とし、象嵌、などの技法がビデオで紹介されていた。晩年の頃の撮影で、その掻き落とし作業もやや精緻さに欠けるもののような感を受けたが、しかし何かその手先は神々しいようなものさえ感じさせていた。
華やかな色彩の世界を見せるための様々な釉薬の研究、またラッパのように拡がった鶴首の花器は2つのパーツで繋いでみるといった独特の手法などは、まさに技法の人だったことを示していますし、日本ではバーナード・リーチに連なる民芸派と分類されることも多いようだが、もちろん時代の人であった以上、その時代の様式に影響を受けながらも、まったく独自の作品世界を構築してきた芸術家だったといえるのではと思われます。

時代の人だったということは、30年代ナチスの台頭する生地のウィーンから全てを棄てて逃れイギリスに渡り、同じようにドイツから逃れてきたハンス・コパーとの出会いと親交を通して新たな転機を迎え、豊穣な作品世界を形成していったということからもいえるでしょう。

この日に見た「戦場のピアニスト」(ロマン・ポランスキー)は同時代のポーランドのあるピアニストの数奇な運命を描いたものでしたが、ルーシー・リーと共に、二人の芸術家の生き方に接し、時代に翻弄されながらも強く信念を持ち生き抜く精神力のその源が共通してアートの世界であったということを強く感じさせた一日でした。

 ■ ルーシー・リー展 「静寂の美」
〜3/30まで
ニューオータニ美術館 
 (東京都千代田区紀尾井町4-1ニュウオータニガーデンコート6F)

  阪急梅田本店への出展

Mar. 6.2003

3/4から大阪梅田に行ってましたが、時ならぬ雪でした。米原から大津あたりまで真っ白!。
翌5日も朝から小雪が舞い降りてきていました。チェーンを用意してのトラックドライブでしたが、久しくトラックでのチェーン走行はしていませんので、おっかなびっくり。

5日から大阪梅田阪急6F 美術画廊脇での新企画「くらしのアート」がスタートしました。
工房 悠 杉山の家具も参加させていただいています。
このゾーンは阪急美術部の企画で、これからの生活のなかのアートのあり方を積極的に提案していこうというものです。
陶芸、ガラス工芸、染織工芸、創作人形、皮革工芸、木工、など様々な分野のいずれも第一線の著名な工芸作家を網羅した阪急百貨店ならではの企画です。
晴れがましくも杉山もテーブルセット、フロアスタンドなどを出品させていただきました。
常設のゾーンになりますが、今後積極的に趣向を変えて展示内容の充実を図っていくようです。

関西の皆さまには「工房 悠」の作品をご覧いただく貴重なスペースになりますので、ぜひご来場、ご観覧ください。

関西地域で木工家具に興味のあるある方はご存知のように、この阪急百貨店内には「オークビレッジ」のショップもあります。ここの店長さんがさっそく見に来られ、あいさつさせていただきました。テイストも異なりますので、バッティングしないでしょうから共にがんばりたいと思いますね

阪急梅田本店
〒530-8350 大阪市北区角田町8-7
Phone/06-6361-1381(代表)
6F美術部 くらしのアート

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さてこの大阪近郊にも木工房がたくさんあるようです。
今回は以前より交流させていただいている、3個所の木工房を訪ねました。3個所といいましても、実は同じ棟、それぞれ独立工房ですが、軒を連ねて構えていらっしゃいます。
岩崎久子、 小山亨、 林 靖介 の三人です。
河内長野、千早赤坂村というすばらしい自然環境のなかで、それぞれ作風が異なるものの切磋琢磨して活動されています。
春には合同の展示会も開かれるようですので、お近くの方はぜひ訪ねてみてください。
なお情報は[Links]に小山さんのサイトをリンクしましたので、そちらから確認してください。

  家具産地での工房経営と、やせ我慢

Feb.26.2003

家具産地に立地して工房を構えているということは、決して良いことばかりでもありません。家具産地=量産家具=安物家具といった概念がつきまとうことは、高いクォリティーを求める工房としましてはイメージダウンになってしまうでしょう。

産地ですので数百人の職人を抱える大きなメーカーから、1人から数人規模の木工所に至るまで、業務形態はさまざまですが、ボクのようにオリジナルなものを製作している工房も少なくありません。
しかし残念ながらオリジナルなものだけでやっていけるところばかりでもありません。ほとんどはメーカー、あるいは問屋などからの下請けの仕事を中心として運営されているところが多いようです。そうした環境があるということは産地ならではのメリットでしょう。他ならぬ私も工房設立当時はそうした環境を甘受していました。
しかしオリジナルなものを追求していこうとした場合、こうしためぐまれた環境というのは果たして工房、家具作家にどのような作用を及ぼすものなのでしょうか。

経営面では下請けの仕事がありますので、安定的に推移するでしょう。
しかし「オリジナルな仕事がしたい」という願望とは裏腹に、忙しい日々の下請け仕事に充足し(もの作りにおけるある種の麻薬的効果)、あれよあれよ、と言う間に初心は磨耗、疲弊し、仕事も荒れてくる(高精度の加工、仕上げをやっていたのでは、とても採算が合わないので)ことは避けがたいでしょう。
クォリティーの高いオリジナルなものをつくっていきたい!、という願望と、その実現に向けての第一歩は「安定的な経営の追求」からのある種の「断念」を自らに強いるということができるかどうか、ということにつきるように思います。

この腐臭漂う拝金主義の日本、で良質な木工業をやりつづけていくことは、決して容易ではないでしょう。
インディペンデントを志向していこうとなると、なおのこと難しい。
しかし何事もそうであるように、ひとつのことをやり遂げようとするならば、卑俗的なことからの「断念」は必須の要件なのだろうと思います。

さて先頃、これも家具産地ならではの恩恵の一つですが、静岡市で家具産業に関わる一つの講演会がありまして、参加させていただきました。
ここでもスウェーデンの家具作家の一人が、先のことと通底するようなお話しがありましたので、少しく紹介します。

        *          *          *

「スウェーデン家具産業に学ぶ」なる講演会です。
演者はスウェーデンの家具デザイナーと家具工芸家の二人。
Mattias Ljunggren氏、及びPeter Hellqvist氏。いずれも1950年代半ば生まれの若い人だが、スウェーデンでは業界第一人者としてご活躍されている方々だ。
講演概要は産地静岡が消費不況のなかにあって大打撃を受け、なかなか反転攻勢の方途が見いだせないという現況のなかで、世界的にユニークな家具産業の形成と、浮沈、そして業界再生の道を歩みつつあるスウェーデンの状況を紹介しつつ、静岡の次代の家具産業再生を模索しようというものだった。

Peter氏は北海道を中心として在日経験も長く、日本語も堪能な親日家で、静岡には数年前「パインプロジェクト」という企画の参加者として来日しており、業界にも明るいようだ。講演はスライドショウを交え、最近のスウェーデンの家具業界の動向をトレースされたり、かなり古い建造物を自ら改装して工房設立の準備に忙しい様子などを報告していただいた。静岡産地への提言のなかで印象的だったのは「家具づくりという産業を担っている中小企業の経営者のほとんどは金銭的見返りということよりも、製作するものへの誇りで支えられている・・・」といったくだりでした。
この講演は地元の家具デザイナー向けのものだったのだが、製造業者とのコミュニケーションの基本的視点として「職人の心を持った」製造業者は単なる製造業者ではなく、その仕事に責任を持った人たちなのだと理解することが重要、と力説していた点でした。
また二人が共通して述べていたことは、需要家の要望に応えられるデザインの開発、企業のプロフィールを理解してもらうための努力が重要といったことでした。

これらは企業としての木工業への箴言であると同時にボクたち木工家にとっても重要な戒めだろうと思う。
日本においてはいまや家具産業に限らず、あらゆるジャンルの製造メーカーは、価格訴求では他のアジア諸国と対抗することはもはや叶わず、より高度の生産内容と、オリジナリティーあふれるブランド力を確立していくことなくしては生き残れないということなのでしょう。

さらに講演は「デザインと知的所有権」というタイトルも設けられていたのですが、少し時間切れで食い足りない感が残りましたが、まずまず問題意識を鮮明にさせただけでも有益な講演でした。